トビ空

□―低温火傷―
1ページ/2ページ




イライラする。
その理由はなにか、トビは滴る汗もそのままに、一人体育館内に散らばるボールを目で追った。ドクリドクリと、身体中を血液が沸騰しようとばかり流れている。もし、この場で皮膚を切り裂いたなら、蒸気を発して消え失せてしまいそうだ。
(チラチラと鬱陶しい)
なにかに集中していないと、その残像は姿を表してしまう。
こんなのは、彼は望んでいなかった。認めたくなどなかったのだ。なぜ、どうして自分が、あんな奴の事を気にしなくてはならないのかと、必要性の無いものは、今の自分にはいらないと言い聞かせていた。
必要ない。邪魔なだけだ。いつまでもなにかと付きまとって、関係ないくせに口煩いあのチビが、脳裏に浮かんではこびりついて離れない。
並べたコーンを思い切り蹴飛ばしたい衝動に駆られた。
蝉が鳴き続けるうだる暑さも、熱気を放つ館内も何もかもが勘にさわる。
無理をしているのは重々承知の上だというのに、体は言うことを聞いてくれない。見て分かる程に、膝は赤く熱をもっている。
(軟弱にも程がある…)
いい加減、傍観者には嫌気がさした。眺めるだけで神経がすり減る試合なんて、焦れったくて堪らない。
それなのに、動かない自身の身体に不満はつのる一方だった。
それだけでも気が滅入るというのに、なんだって今、自分はあんな奴の事を考えているのか、トビにはまるで分からなかった。歯痒さにもにた苛立ち、奥歯をギシリとかみしめて、彼は床の木目を睨み付けた。
(へらへらへらへら、あんな腑抜け面、見とうないんじゃ)
誰それかまわず愛想よく笑うチームメイト、知らぬうちに自分のテリトリーへと入り込み、勝手に住み着いてしまった面倒な輩。
見たくない。見たくもない。他者に笑うアイツを、どうして、わざわざこの目で見納めなければならないのだと、トビはすこぶる気分が悪かった。
しかし、その姿をここ数日見ていないのも本当だった。リハビリのために病院へ通う日々が続いている。もっぱらトビは、車谷との接触がなかった。
不快な光景は目にいれていない、なのにかかわらず、このとりとめのない苛立ちは、一体なんだというのだ。
止まらない額から流れる汗すら鬱陶しくなり、シャツの裾で拭いさった。
(どうでもええんじゃ、あんなチビ)

ツキリと痛むのは、膝なのか別の場所なのか、トビは見てみぬふりをした。気付きたくなどない、自分は、そんなやわい人間じゃないと、彼は思っていた。

乗り越えなければならない壁が、目の前に立ちはだかっている。苦痛を伴うことなど、百も承知だったのだ。千秋に固まった膝を折られた時のあの激痛を皮切りに、怖いものはなくなった。後は、己との闘いだけだ。
わかっている。それにだけ集中すべきことなのに、どうしても、切り離せない奴がいる。

蒸し暑い館内へ、ぬるい風がわずかに吹き込んだ。
トビは静かにコーンを重ね、散らばるボールを拾い集めた。
かがんだ視界のすみに、入り口に転がった一つを掬い上げる人陰がうつる。

「また、無理な練習してる」

振り向きざま、トビは顔をしかめた。手にボールを持ったまま、彼に歩みよる人物が、先程まで思考を満たしていた本人だったからだ。
久方ぶりに見た車谷は、相変わらず困ったような呆れたような、はっきりしない表情をしていて、トビは小さく舌打ちをした。会いたくない時に限って、タイミング悪く出会してしまうもので、引きずりそうになる足を見られるのも癪だと、彼はその場を動かなかった。


「お前に関係ないじゃろ、いちいち口出しすんな」

「腫れてるじゃん、関係あるよ、チームメイトなんだから」

威嚇をしてみるも、車谷は素知らぬふりで近付いてくる。
そうして、トビの近くまでくると、ボールを脇へやり、片手で持っていた濡れたタオルを差し出した。

「氷水に浸けてたから、よく冷えてるよ」

膝にあてると幾分楽になるんじゃないか、車谷は表情を和らげ、ニッと笑った。
一方のトビは、言い様のない感情が、体内を駆け巡っていた。苛立ちと困惑がいっしょくたに織り交ぜ合って、行き場をなくしてしまったような。それなのに、泣き出してしまいそうな、どうしようもない物までもが頭をもたげ、いっそ喚き散らしてしまえればどんなにいいかと、差し出されたタオルを見つめて眉をひそめた。
一人で、どうにかするしか道はない。自分は、こんなところで朽ち果てる人間じゃない。
トビは判りきっている、覚悟もしていた。しかし、彼とて人の子なのだ。見えない先に、思い通りにいかない焦れったさに、不安を覚えることもある。
怪我の後遺症に悩み、認めたくない想いを車谷へ抱き、彼にしか理解出来ない恐怖心が、常に付きまとっていた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ