幕末人物伝

□桂小五郎
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桂小五郎(木戸孝允)



長州藩医の和田昌景の長男として生まれる。
8歳のときに桂家の養子になり、17歳で明倫館に入学。
そこで吉田松陰と出会い、入門して兵学を学ぶ。

後に江戸で、神道無念流の斎藤弥九郎に入門し、
21歳で免許皆伝を取得、練兵館の塾頭になる。

しかし、そこまでの強さを持ちながら
「逃げの小五郎」と呼ばれたように、自らの剣によって人を斬ったことは一生無かったという。

ペリー来航の際には、幕府の対応を目のあたりにし、絶望。
西洋砲術、造船術、蘭学なども学び、来るべき動乱の時代に備えた。

池田屋事件では、一度池田屋に顔をのぞかせたものの、
同志が全く集まっていないことを知り、一度対馬藩邸へ行く。
そのために、運よく難を逃れた。


乞食などに姿を扮して、京に潜伏。
その際には、芸妓の幾松が面倒を見てくれたという。

しかし、同志の依頼で一度長州藩に戻る。

その後、坂本龍馬が現れ、薩長同盟が結ばれる。


翌年の第二次征長戦にて幕府軍を退け、大政奉還を経ての後、長州藩の復権に成功する。
薩長主導による武力倒幕を成し遂げ、新政府を樹立する。


明治維新の中でも、「五箇条のご誓文」や「版籍奉還」に尽力し、廃藩置県を行う。


岩倉使節団として渡米し、帰国後、「征韓論」を唱える西郷と対立。
その後は、大久保の独裁体制に不満を抱き、政府から遠ざかる。

最終的には、西南戦争の最中に病死。結核だったという。



明治10年5月26日 木戸孝允・没(享年45歳)











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