幕末人物伝

□松原忠司
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松原忠司



新撰組隊士。
人柄は温厚で、壬生界隈には「親切者は山南と松原」と称されている。



播磨国小野藩士の子に生まれる。

柔術を学び、脱藩後、道場を開く。
そのためか、新撰組でも柔術師範となっている。


文久3年春、最初の募集に応じて浪士組に入隊。

八月十八日の政変では、坊主頭に白鉢巻、手には大薙刀という異形で出動。
そこから、「今弁慶」という異名を名乗る。


池田屋事件では、土方隊に属し参戦。
その後の報奨金は15両。

こうした活躍もあり、慶応元年4月に行われた新撰組の編成では四番隊組長となり、柔術師範を兼任。
(副長助勤、七番大炮組長も務めている)


その後、慶応元年9月1日、松原忠司死去。(31歳)

記録には病死とされているが、定かでは無い。



子母澤寛による作り話という説もあるが、「壬生心中」が有名である。
今回、短編作品で取り上げたとおり、自分が斬った浪人の妻を妾とした話で、副長の土方との仲を険悪にし、隊長から降格されたとも言われている。

何らかの理由で切腹し、未遂に終わったがその傷が悪化して死んだとも言われる。











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