K-book

□礼猿
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「君の手料理が食べたいんです」
「は?」

久しぶりの休日に、遊びに来ませんかと言った宗像の誘いに乗って部屋を訪れてすぐの事だった。
勝手知ったる他人の部屋。客でありながらも伏見がお茶の用意をしている間、備え付けのソファに腰掛けていた宗像の、なんの前触れもなく告げられた言葉に思わず間の抜けた返答を返した。手を止めて、なにかの聞き間違いであったかと言葉の発信源を凝視すると、表情を変えずに真っ直ぐ見返してきた。

「君の手料理が食べたいんです」

一言一句違うことなく繰り返された台詞に、聞き間違いではなかったのかと思うものの、突拍子もないその申し出には首を傾げる。

「料理くらい、いくらでも作ってあげますけど…いきなりなんですか?」
「いえね、先日淡島くんから君は料理が上手いと聞きまして。私は知りませんでした」
「副長から…?」

言われて経緯に思考を巡らせてみる。
確か休憩中に雑誌のグルメ欄を見ていた連中が「今度一緒に食いに行きましょう」と誘って来た時だったか。昔から身の回りの事は全て自分でやっていたこともあり、料理の腕前も必然的にあがっていった。よほど時間がない時などはコンビニ飯で済ませる事もあるけれど、伏見は基本的に自炊している。栄養の偏った味付けの濃い料理ばかりの外食などは好まず、数える程度しか口にしたことはない。それこそ仕事の付き合い上やむを得ず出向いた先で、最低限の量を食べるだけに留めている。その話の流れで色々と根掘り葉掘り質問攻めにされたのは頭の痛い話だったが、それを聞いていたのだろうか。

「上手いと言っても人並みですよ。寮とはいえ、一人暮らししてればそれくらい出来るようになるでしょ、普通」
「そうでしょうか…私も時々試みてみますが、あれはなかなか人を選ぶものだと思います」

何を思い出したのか、苦い顔で告白する宗像の珍しい表情に小さく笑い、止まっていた手を動かし始める。

「意外ですね。なんでもムカつくくらい涼しい顔でやってのけるクセに、料理は苦手なんですか?」
「苦手なのではありません。向いていないだけです」
「それを苦手って言うんですよ」

ややムキになりながら屁理屈を返す宗像をクスクスと笑い、ローテーブルの上に淹れたてのお茶が入った湯呑みを置き、自身は宗像の隣に腰を下ろした。
自分用に淹れたコーヒーの入ったマグカップを両手で包むように持ち、少しだけ口をつける。豆を挽くところから始めるものすでにお手の物で、今回も会心の出来だ。満足気に微笑み、カップを置いてから宗像の肩に凭れ掛かる。じわりと馴染んでいく互いの体温にほぅとため息をつき、目線だけを宗像に向ける。

「で、リクエストはありますか?」

ある程度のものなら作れる自信はあるし、わからないものでもレシピを調べればそれなりに作れるだろうと思う。飛び抜けて美味しいわけでもなければ食べられないほど不味いわけでもない、無難なものになってしまうのは致し方ないので、そこは練習を重ねてからサプライズでリベンジしてやろうと密かに決める。
横からじっと見上げながら大人しく返答を待っていると小さく唸って思案したあと、作り手が最も困る返答を寄越した。

「お任せします。伏見くんが作ってくれるなら、なんでも食べますから」
「食いたいものくらい考えてから言ってくださいよ…」

情けない顔で困ったように眉尻を下げ、些か非難めいた言い方になってしまったのも無理からぬ話だと、誰にともなく胸の内で言い訳を連ねる。頭の中にあるレシピを漁りながら、何品かすぐに作れそうなものをピックアップしていく。
口元に緩く握った指を当ててたまま思考に没頭していたらしく、さわりと髪を撫でられる感覚に意識を引き戻されて宗像を見ると、先の伏見と同じく頼りない表情でこちらを見下ろす瞳とかち合う。
放っておかないでと言外に告げてくるその顔に、誰のせいだと詰ってやろうかと思ったものの、先手とばかりに髪に唇を落とされ、仕方なく喉まで出掛かった言葉を呑み込む。代わりに、預けていた体を離して、あやすようなキスを頬に返す。
体毎向き直った宗像の腕が伸びて来て引き寄せられるのに逆らわず、大人しく腕の中に収まる。

「俺、野菜キライなんで。室長全部食ってくださいね」
「君は意外と偏食ですよね。少しは食べた方がいいですよ。なんなら、口移しで食べさせてあげましょうか」
「ふざけんな、絶対嫌だ」

背中に腕を回しながら事前宣告しておく。返された言葉に渋面を作っていると、何が楽しいのかしきりに笑っているのがなんとなく面白くなくて、黙れと言う代わりに苦しくなるほど腕に力を込める。全く堪えていないのか、それすらも嬉しそうに笑みを深めただけだったけれど。
それでも、食べろと言いながらその時になると何も言わず好きなものだけを食べさせてくれる事も、残した野菜を代わりに平らげてくれる事も知っているから。

「…肉なら、食わせてくれてもいいですよ」
「はい?」
「だから…っ、」

割りと気力を振り絞っての台詞を、きょとんとした顔で聞き直さないで欲しい。
一人でズレた事を言っているような気恥ずかしさに顔が熱くなり、それを隠すように胸元に顔を押し付けながら、俯き加減にもう一度、今度はちゃんと伝わるように言葉を紡ぐ。

「肉なら口移しでも食います」

口早に言い切り、胸元の服をきつく握って羞恥に耐える。皺になろうと知ったことではない。
しかし、いくら待てども宗像の反応はなく、そろりと顔を上げてみると同じように顔を赤くして言葉を無くしている宗像がいて、つられるように更に赤みが増した。

「な、んで…あんたが照れてんですか」
「いえ…伏見くんが思いがけず嬉しい事を言ってくれたので、つい…」
「俺のせいにしないでください」
「いえ、でも本当に。君、時々どうしてあげようかと思うくらい可愛いですね」
「なっ!…っ、可愛いとか、馬鹿だろ!」

ぶわりと耳まで赤く染めながらそっぽを向いて悪態をついても常の威力はなく、熱で潤んだ瞳もいまだ腕の中に閉じ込められたまま逃げようとしないのも、可愛いさを増長させる要因にしかなり得ない。
ブツブツと照れ隠しの罵詈雑言を吐き続けているけれど、それもぎゅっと抱き締めるとピタリと止んだ。

「伏見くんの手料理、楽しみにしていますね。とりあえず…」

耳に吹き込むように囁くと、コクリと小さく頷いたのを認め、頬に手を添えて目を合わせる。

「手料理の前に、伏見くんをいただきます」
「…腹壊しても知りませんよ」

とりあえず、クスリと笑いながら挑戦的な目で見上げてくる負けず嫌いを、グズグズに溶かしてやろうとその口を塞いだ。

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