TOX

□お気に入りの場所
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広い豪奢な部屋より、狭い質素な部屋の方が落ち着く。高い天井から明かりを反射して光輝く高価なシャンデリアより、部屋の片隅に置いた淡い光を放つ発光樹のランプの方が好ましい。見も知らぬ各界の著名人で溢れた祝宴よりも、気心の知れた仲間との一時の方が嬉しい。
けれど、望むと望まぬに関わらず、このジュード・マティスという名が世に広まってしまった以上、望まぬ結末さえ時には受け入れなければいけないのだと、割り切っていた。
つもりだった。

(考えが甘かった…)

貼り付けた笑顔の裏で、心身ともに疲労困憊で今にもくずおれそうなジュードは胸の内で盛大に溜め息を吐いた。
源霊匣を普及する為の研究のがまた一つ成果が認められ、小さいとは言え賞を貰えたのは素直に嬉しかった。これでまた、彼の精霊の主と今は亡き友人との約束に一歩近付けたと、他でもないジュード自身が一番授賞を喜んだのも事実だ。
ジュードの授賞はメディアを通じて、瞬く間にエレンピオスとリーゼ・マクシア両国に広まり、そこから是非授賞祝いをさせてくれと懇願されてしまえば、無下に断るわけにもいかなかった。やむ無く了承した先には我先にとひっきりなしに訪れる、権力や功績にしがみつく貴族や研究者達の形ばかりの世辞と、その裏に潜む隠しきれない媚び。
全ての人がそうだと言わないまでも、大多数が前者であり、疲れるものは疲れる。
功績を認めてもらえるのは非常に喜ばしい事ではあるけれど、こんな華やかな席は身に余る。その上これでは、お人好しを地でいくジュードにさえ、二度目はないと思わせるのに十分すぎた。
次回からは丁重にお断りしようと胸に決め、折り好く体も空いたところで少し風に当たろうと、なるべく人目を向けないようにそっとテラスに向かう。
室内に響く演奏の音が遠退くにつれて、体に入っていた不自然な力も抜け、手摺に腕を置いて凭れたところで肺の空気を押し出すように息を吐いた。

「まだ…終わらないよね」

ぐったりと頭を垂れ、疲れ切った溜め息を吐く。呟く声に覇気はなく、その背景には暗雲が垂れ込めている。

「もうこのまま帰っちゃダメかなぁ。僕一人いなくなったところで、気付く人なんているわけないし…」

ただでさえ多大な人数が一処に集まっているパーティなのだ。そこから一人抜けたくらいではわかるはずもないだろう。
そう考え始めたジュードの思考はしかし、背後から聞こえた声に見事に否定された。

「んなワケないでしょーが。主役が抜けてどうすんだよ。優等生のセリフとは思えないねぇ」
「アルヴィン…」

苦笑いを伴ってゆったりとした足取りで近付いてくるアルヴィンに、パチリと瞬いた。
どうしてここに?と首を傾げるジュードにジトリとアルヴィンの目が据わる。

「誰かさんが何も言わずにフラッと姿を消すから?体調でも悪くなったのかと心配して来てみれば、一人で脱走を目論んでたってわけ」
「脱走って、そんな…」

肩を竦めて溜め息を吐く、どこか芝居がかった所作に困ったように笑う。
ジュードも本気で抜け出してもバレないと思っていたわけではない。ものの例えだと、今しがた揶揄した彼は言わなくても分かっているだろう。
どう返したものかと考えていたジュードの隣まで来たアルヴィンは手摺に背中を預け、目線だけを寄越す。

「疲れたか?」
「…少し」

柔らかく和ませた目元に、心配の色を滲ませたアルヴィンに、いつものように大丈夫と返そうとして、止めた。
今は心配してくれるその気持ちに甘えたい気分だった。
恐らくアルヴィンも、ジュードの返答は大丈夫の一択だと思っていたのだろう。驚いたように軽く見張られた瞳が、まじまじと見返してくる。あまりと言えばあまりの反応に、ちょっとした悪戯心が沸き、わざと不貞腐れたような表情を作ってみせる。

「認めてくれるのも興味を持ってもらえるのも嬉しいけど、流石にね…」

ここまでだなんて思ってなかった。
苦笑気味に漏らす、滅多にないジュードの弱音に、話を振ったアルヴィンの方が、反応に困ったようで、複雑な表表情を見せている。
人の心の機微には敏感で、言わなくても胸の内をあっさりっと見抜く。二歩も三歩も先読みして返す言葉さえ誘導させていた男が、今は自分の言葉に迷っているのを見ていると、意地悪が過ぎたかと申し訳ない気持ちになってくる。
同時に、こんな冗談を言えるようになった自分の変化と、誰の影響かを考えると、驚きと気恥ずかしさを覚える。

「ふふ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「どーいたしまして。って、なにもしてねーけどな」
「そんなことないよ。今もこうして、心配してくれて様子を見に来てくれた」

にこりと笑って返せば瞬いたアルヴィンが同じように笑い返して、嬉しそうにそっかと呟いた。
ジュードにしてみれば、アルヴィンと二人きりでいられる今の時間は、溜まったストレスも疲労も一瞬で吹き飛ぶほど心安らぐもので、何物にも変えがたい。

「じゃあ、お疲れのジュード君にここで魅力的なお誘いを一つ」

チラリと横目で見てきたアルヴィンが、ニヤリと笑って指を立てる。
子供が悪戯をする時のような無邪気な笑みに首を傾げて続きを促すと、立てた指で近付くようジェスチャーで示され、身を寄せる。
途端に腰を浚われ、トンと逞しい胸板に軽く衝突する形で抱きとめられ、慌てふためくジュードを力強い腕が抱き竦める。

「ア、アルヴィン…誰かに見られたら…っ!」
「大丈夫。誰も見てないし気付かない」
「そんな、こと…」
「パーティーが始まってからずっと我慢してたんだ。そろそろジュードに触らせて」

耳元で囁かれ、期待した身体がぞくりと震える。一気に熱くなった顔を隠すように胸元に額を押し付けるジュードに応えるように、腰に回された腕の力が増し、髪に唇が落とされた。もとより、切なげに熱を孕んだ声でそんなことを言われると、ジュードに断れる道理はどこにもない。

「アルヴィン…あの、お誘いって、その……」
「ん?あぁ…」

ボソボソと尻すぼみに小さくなっていった言葉は最後まで音にならず、口の中でモゴモゴと蟠る。
いつまで経っても触れ合いに慣れるということのない初心な反応は、アルヴィンの加虐心を煽るだけだということを、果たしてジュードはわかっているのだろうか。
まして、至近距離で俯いているために顕になっている項まで、うっすらと朱に染まっているのを見てしまえば、尚のこと。

「カケオチ、しよっか?」
「カケオチっ!?」

内緒話のように潜められた声が発した予想外の内容に思わず顔を上げると、その瞬間を待ってましたとばかりに降ってきたものに口を塞がれる。
ふわりと押し当てられたアルヴィンの唇は直ぐに離れ、一度確認するように目を合わせると、再度重ね合わせられた。
二度三度と啄むように優しく唇を食まれ、するりと滑り込んできた舌が咥内を我が物顔で這い回る。

「ぁ……んっ、…アルヴィ……」
「ジュードが望むなら、どこへでも」
「どこ…でも……?」

クチリと粘着質な水音の途切れる合間に紡がれる言葉を、靄のかかり始めた頭の片隅で考える。
どこへでもと言われても、行きたい場所などそうそう思い付かない。ジュードにはまだ成すべき事が残っている。まだまだ終わりの見えない道を歩いている最中に、寄り道をしている暇なんてどこを探しても見当たらない。
辛い思いも悔しい思いも沢山しているけれど、そこから逃げたいと思ったことはただの一度としてない。
そんなジュードを、アルヴィンも出来る限りのサポートをしながら応援してくれているはずなのに、どうして…

「んな難しく考えんなって」
「ひあっ!」

カリと鼻頭に甘噛みされ、アルヴィンから遠退いた意識を引き戻される。
覗き込んでくる緋褪色の瞳に苦笑が滲んでいるのを見付けるものの、怒っている気配はない。
分かっているとでも言うように、慰めるようなキスが顔中に降らされ、知らず強張っていた体の力が抜ける。
ずっとジュードを抱き締めて離さない。頼ることを、甘えることを無条件に許されている心地よさと安心感は、アルヴィンにしか感じ得ない。
凭れかかるように体を預け、頬を擦り付けた時にふわりと香るアルヴィンの匂いを胸一杯に吸い込み、今ある幸せを噛み締めた。

「ねぇ、アルヴィン。一つだけ、行きたいところあったんだけど…」
「ん?」

優しく問い返す瞳を見上げ、微笑み返す。
聞かなくても分かっているくせに、敢えてジュードに言わせようとする意地の悪さも、今は我儘を言ってもいいという、アルヴィンなりの甘やかしだと分かっている。
襟を掴んで引き寄せ、こそりと小さくおねだりを告げる。

「あのね、アルヴィンの部屋…行きたい」
「喜んで」

了承と共にちゅっとキスを返され、悪戯っぽく笑うと腰にある腕にグッと力が籠り、そのまま抱き上げられる。

「実はジュード君もう帰っていいんだよね」
「えっ、そうなの?」

今思い出したという体で告げるアルヴィンに、素直に驚くジュードに、ついでに…と続く。

「あとは王様と宰相様がなんとかしてくれるとさ」

ジュードを見上げ、ニヤリと笑うその表情に、アルヴィンが来た時点で自分の退席は始めから決まっていたらしいことを悟る。

「じゃああとは、二人にお願いしようかな」

首に腕を回し、ジュードからアルヴィンへ触れるだけのキスを送り、返され、仕返す。じゃれ合いのような戯れが熱を上げ始めると、どちらともなく見つめ合い、深くしっとりとした交わりを最後に、ぎゅっと抱き締め合う。

「アルヴィン、早く…」
「仰せのままに」

ジュードを抱きかかえたまま歩き出し、人目を避けるように暗がりへと姿を消した。

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