TOX

□今日も、明日も、明後日も。
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ジュードが、大変なことを覚えてきた。





「さ、て…ジュード。歯磨きは?」
「おわったよ!」
「よし、んじゃベッド行けー」

ジュードの子守りを任せられるようになって数ヵ月、医者として忙しいジュードの両親は家を空ける事が多く、聞き分けのいいジュードは一人で夜を過ごしていた。
それを知ってから、ジュードが一人になる時はアルヴィンの家で預かるようになった。ジュードの両親も幼い息子を一人で残すのは心配だったらしく、申し訳なさそうにしながらも丁寧にお願いしてきた。

(申し訳ないって思うなら、もっと気にかけてやればいいのに…)

マティス夫妻の事は嫌いではないが、どうしたって恨み言めいたことは考えてしまう。親に甘えたい盛りだろうに、アルヴィンがそうであったように、ジュードもまた両親に迷惑をかけまいと自分を殺す子供だった。
だから自分くらいは、過ぎるくらい甘やかせてやろうと決めている。
ベッドに追いやりながら、今は無邪気に笑っているジュードを見下ろす。せめてこの笑顔が曇らないよう、全力で守るだけだ。
寝室の扉の前に立ち、精一杯背伸びをして部屋のドアを開けようと、ふらふらしながらノブに手を伸ばす。アルヴィンが開けてやれば早い話だが、手が届くようになったと自慢気に報告してきた日以来、扉を開けるのはジュードの役目となっている。
ようやく扉を開けることに成功したジュードは、アルヴィンを振り返り嬉しそうに笑う。実はこの笑顔を見たいが為に、任せているところもある。くしゃりと頭を撫でてやると、はにかんだ笑みになるところも、可愛くて仕方がない。
トテトテと愛らしい足音をさせながらベッド潜り込んだジュードは、ちょこんと座った状態でアルヴィンを見上げ、

「あるびんっ、おやすみのちゅーして?」

ことりと小首を傾げてなされたおねだりに、言葉を失った。
花盛りの娘がすればあざといだけであろう仕草さえ、ジュードがすれば可愛いことこの上ない。加えて先のセリフとくれば、その場にくずおれそうな程の威力がある。
周囲に花でも飛んでいそうな眩しい笑顔を直視出来ず、口許を手のひらで覆いそっと顔を逸らした。

(かっっっっわいいんですけど!!!!)

ともすれば叫び出しそうな自分を律したものの、動揺だけは抑えきれずその場に屈み込み、ふるふると肩を震わせる。
どこで覚えてきただとか、誰に教わっただとか、そもそもなんでいきなりそんなことを言い出したのかとか。問い質したいことは山ほどあるけれど。
ゆっくりと息を吐き出し、暴走しかけた自分をしっかり落ち着けてからチラリとジュードを窺うと、戸惑いと不安に今にも泣き出しそうな顔をしていた。ぎゅっと布団を握りしめ、小さな体を更に縮こませている姿を目にし、慌てて笑いかける。

「あるびん…どこかいたい?」
「いやいや、だいじょーぶ!どこも痛くねーって」
「じゃあ、ぼくわるいこ…?」

アルヴィンの様子から、自分がなにか悪いことをしたのではないかと、要らぬ心配をしているジュードに手を伸ばし、少し乱暴に髪を掻き回す。
突然の事に、目を白黒させているジュードをそのまま揉みくちゃにしてやり、わたわたと慌てだしたところでようやく解放してやる。

「大丈夫だよ。ジュードはいつもいい子にしてるだろ」

まだ不安そうにしているジュードに後押すように、もう一度大丈夫だよと優しく繰り返し、乱した髪を整えるようにゆっくりと撫でつける。
ジュードもそれで納得したのか、強張った表情にパッと笑みが戻った。
内心で胸を撫で下ろし 、頭にある手を滑らせて前髪を上げ、顕にした額にそっと口付ける。

「ほら、もう寝るぞ」

衝撃的なお願いも果たし、ジュードも宥めたところで、促しながら隣に身を滑らせる。
しかしジュードは一向に動く気配がない。

「ジュード?どした?」
「おやすみのちゅー…ない?」

不満げにじーっと見つめる視線に気が付いて聞いてみると、先ほどしたばかりのものを催促され、首を捻る。

「さっきしただろ?」
「ちがうもん…」

ふるふると首を横に振り、訴えるような目で見られ、ますますわけがわからない。
もしかしてわからなかったのだろうかと、再度髪を掻き上げ小さな額に寄せた唇が、ちゅっと音を残して離れる。

「ん、これでいい?」
「…あるびんは、ぼくのことすきじゃない…?」
「いやいや、ジュードのことは大好きだけど。…どうした?怒らないから、言ってみな」

まだ満足出来ないらしいジュードは、また泣きそうになりながら突拍子もない質問を投げ掛けてきた。
答えは言うまでもなくノーの一択だが、経緯が全くわからない。一体今日のジュードはどうしたというのか。
モゾモゾと体を揺らしながら、言うことを躊躇っているようにアルヴィンを見ては目を逸らす、という動作を繰り返しているジュードが話し出すのを辛抱強く待つこと数秒。やっと決心のついたジュードが、あのねと前置き、そろりと話し出した。

「すきなひととはね、くちとくちをあわせるんだよってきいたの」
「…うん。…ジュード、ちなみに、それ、誰から聞いた?」
「えっと…みんな?」
「みんな?」
「ようちえんの」

だからね、おでこじゃなくてくちがいい。
色んなものに衝撃を受けている内に届いたトドメのセリフに、一度はなんとか紡いだ言葉が今度こそ出てこなくなった。
絶句。この一言に尽きる。
だめ?と念押しのように重ねてねだるこの愛しい子供が、今は悪魔にしか見えない。
だめかと言われればだめだろう。アルヴィン的には全く問題はない。問題はないけれど、ジュードのことを考えると問題はありすぎる程ある。
額か頬程度ならいくらでも喜んでしてあげられる。しかし、それが口となると、そうホイホイとするわけにはいかないだろう。ましてそれが、好きな人とする場所だと認識しているなら、尚更。
好きの種類まで理解しているはずもないジュードの好きは、友達や家族に対するいわば親愛に属するものだろうが、さてどこから説明したものか。上手くジュードに理解させなければ、キスしてもらえないイコール好きじゃないに結びつけられそうだ。それは断固として違う。

「えーと。ジュード、あのな…」

まずは涙を溜めている目元を指で拭ってやり、出来る限りの優しい声音を作る。

「ジュードは、俺のこと好きだと思ってくれてるんだよな?」
「うん、あるびんすき」
「サンキュ。じゃあ、他の友達とかは?」
「…すき」
「だろ?ジュードの好きはみんな一緒なの。で、ここからが大切。口にするちゅーは、ジュードが一番好きで大事な奴以外としちゃだめ。わかる?」
「あるびんが、いちばんすきだよっ!」
「うーん…」

口を一文字結び、見つめてくる目が雄弁にジュードの必死さを伝えてくる。
素直なのはジュードの美点だけど、いささか素直過ぎるのも問題かと、少しばかり頭を抱えたくなった。ジュードが頑なに求めてくる限り、ここでこれ以上拒否してはとうとう泣き出してしまいそうだ。何より、悲しむジュードは見たくない。かと言って、言われるがままに施していいものかどうか。
賢い子だから、言葉を尽くせば分かってくれる一方で、アルヴィンには年相応に子供らしく駄々をこねることも、稀にある。
頭の中で思案しているこの時も、ジュードの表情は徐々に暗くなってきている。

(もう、なるようになるか)

決して投げ遣りではないけれど、これ以上ジュードの泣きそうな顔を見ているのは忍びない。
俯き、力一杯握り締めた小さな手を解くように自分の手を重ね、そっと指を開かせる。

「ジュード、顔上げて」

開かせた手をやわやわと触って遊びながら、もう片方の手を頬に添える。
促されるがままに顔を見せたジュードの瞳にはしっかりと水の膜が張り、瞬けばすぐにでも零れ落ちそうだ。

(ジュードが望むなら…)

果たさない道理はない。アルヴィンにとってジュードは、なによりも優先すべき相手だ。
だから。

「俺も、ジュードのことが好きだよ。一番、好きだ」

ジュードに言い含めるように、自分に再確認させるように。そう囁いて、そっと小さな唇に自分のそれを触れ合わせる。
羽のように軽い、まるでままごとのようなキスに、一拍きょとりと瞬き、綻んだ笑顔は大輪の花のように輝いた。







「…ん……っ…」

名残惜しむようにねっとりと絡まった交わりを解き、仕上げとばかりにペロリと唇を舐め、ゆっくりと離れる。
艶を帯びた声を漏らし、伏せ目がちな瞼を縁取る睫毛が震えているのを至近距離で眺めながら、クスリと笑う。

「なに?」
「ん?いやぁ、な…」

きょとりと首を傾げて問う姿は、あの頃よりあどけなさが抜け、代わりに匂い立つような色香を放つようになった。
あの純粋無垢だった子供が、どこでどうしてこうなったのかと言われれば、間違いなくほとんど自分のせいだと言える為、間違っても口には出さないけれど。

「ジュード君は相変わらず可愛いなぁって、思っただけだよ」
「可愛いって…僕もう一五だよ?その前に男なんだけど…」

じっとりと恨めしそうに見ながら、嘆息混じりに答えカクリと肩を落とすジュードを、クスクスと笑いながら抱き寄せる。
隣家の可愛い子供から恋人へと関係を変えたジュードと、寝る前にキスをするのは今や日常のヒトコマと化している。
ベッドの中で引き寄せたジュードの細腰に腕を回し、抱き込むようにして髪に鼻先を埋める。同じように抱き返してくれる腕の中の存在は、出逢った時からずっと、今はその時よりもっと愛しい。

「昔はちゅってやるだけで、うっれしそーに笑ってたのに」
「なっ…」
「今じゃそんな色っぽい声まで出すようになっちゃって。ただのちゅーじゃ満足してくれないし」
「そんなことっ…」
「ま、そんなところも、可愛いくて好きだけどな」
「……っ!ばかっ…」

くぐもった罵声と共に胸元に顔を押し付けられ、腕の力がいや増す。抱き込んでいる上、ジュードがより身を寄せてきたことでその表情は窺えないけれど、恥ずかしさ半分嬉しさ半分の、アルヴィンにしてみれば可愛いだけでしかない拗ねたような顔をしているだろう。
これ以上からかうと本気で拗ねたか怒るかしてしまうけれど、これだけは聞いておきたい。

「ジュード、俺のこと好き?」
「…好きだよ」
「あー、昔は大好きって言ってくれたのになー」
「もうっ、アルヴィン!いつまで昔の…」
「俺は今も大好きだよ。ずっとジュードが一番」
「そんなの、ズルい…」

背中に回っている手が服を掴み、ぎゅうっと力一杯抱き付いてくる。
成長したジュードに全力で締められると些か苦しいが、幸せな悩みだ。しがみついているようで、可愛くもある。
モゾモゾと身動ぎ、下から覗く琥珀色がとろりと溶けてアルヴィンを見つめる。

「僕はあの頃よりずっとアルヴィンのこと好きなのに」

はにかみながら、けれどしっかりと聞こえた声に笑い返す。

「訂正。比べものになんないくらい、好きだよ」

額に口付け、同じように唇へ。
一番好きで一番大事な人とする場所へ、変わらないキスを送る。

「おやすみ」
「おやすみ」

今日も、明日も、明後日も。
この先もずっと変わらずに。
誰よりも大切な温もりを抱いて、幸せな眠りへ落ちる。




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