TOX

□触れた温もり
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何から、なんて分からない。
ただいつからか、何かを守るようにぎゅっと自分を抱き締め、幼子のように丸く小さくなって眠る姿を見るのが辛くなった。
守ってあげたい。何から、なんて分からないけれど。
そんな風に、自分で自分を抱き締める必要がないように、代わりにきつくきつく抱き締めてあげたい。
怯えなくてもいいように。苦しまなくてもいいように。強張った体の力を抜いて、安らかな眠りをあげたい。
そう、言えたらいいと、何度思っただろう。

「…っ、……く…ぁ………、っ…」

ぼんやりとした感覚を感じる間も無く、いきなり浮上した意識がまず捉えたのは隣から聞こえてくる微かな呻き声だった。
初めてではない。
利害の一致という名目で一緒に暮らし始めて数旬。互いの忙しさや生活リズムの違いから、家にいる時間を共有する事は極稀であるとはいえ、全くないわけでもなく、今日のように偶々休日が合致した際に、幾度か同じ様な状況に遭遇した事がある。
暗闇になれた目を横に向けると、こちら背中を向け、大きな体を丸めて小さくなりながら、悪夢に魘されている同居人の姿を映す。

「アルヴィン…」

肘をついて上半身だけを起こした体勢で小さく呼び掛ける。
これで目を覚ますとは思っていないけれど、一応やるだけやってみるのも何時もの事だった。
初めてこの状況に遭った時、慌てて揺り起こしたけれど、その時のアルヴィンの反応に、自分の浅慮を悔いた。
夢現で状況把握が追い付かなかったアルヴィンは夢を引きずったまま、自分を覗き込んでいたジュードに夢の中の人物を重ね、悲鳴と共に思い切り暴れて突き飛ばした。
錯乱したアルヴィンを何とかジュードが落ち着かせ、ようやく自分を取り戻したアルヴィンは、自分がしでかした事と晒した醜態に、消え入りそうな声で噛み締めるようにごめんと呟いた。
以来、無闇に近寄って起こす事はせずに、そっと声をかけるようにしている。

「アルヴィン…」

先程より少しだけ声量を上げて呼び掛ける。様子を窺っているこの間にも断続的な呻き声は続き、早く起こしてあげたいという焦燥と、以前の二の舞にならないようにという慎重さの板挟みに焦れったさを覚える。
しかしアルヴィンが目を覚ます気配は一向になく、それどころか縋るように掛布を握り締め抱き込む様に、早く早くと思いばかりがジュードを急かす。

「アルヴィン」

普段の話し声よりやや大きめに、明確に覚醒の意図を乗せる声量に、眠りに頑なだったアルヴィンの体がピクリと反応した。薄闇の中でその気配を感じ取ったジュードは僅かに安堵の色を浮かべ、再三再四呼び掛ける。

「アルヴィン…」
「……ー…ド…?」

身動ぎと共に掠れた声が届き、目を覚ました事にほっと胸を撫で下ろす。
緩慢な動作で寝返りを打ち、向き合うようにしたアルヴィンは、片腕で顔を隠しながら、独り言のように疲労を滲ませた声を発した。

「悪い…起こしたな」
「ううん…」

イエスともノーともつかない曖昧な返事を返し、浮かせたままの上半身を下ろし、再びベッドに潜る。
布の擦れる音がやけに大きく聞こえ、それもジュードが身を落ち着けると、部屋に静寂が満ちた。
このまま眠るつもりはない。もちろんアルヴィンが再び眠りに入るならばジュードもそうするつもりではあるが、向かい合った先にはそれ以外の雰囲気がある。こちらから声を掛けることはせず、じっとアルヴィンの言葉を待つ。

「…死んだ奴らが…言うんだ……」

ポツリ、と。
気のせいだったかと思えるような然り気無さで落とされた囁きを、それでもジュードはしっかり拾い耳を澄ませた。気を抜けば聞き逃しそうな声を、逃すことのないように。

「なんで…お前だけそんなところにいるんだ、って……今まで俺が手にかけて来た奴らが……足元から這いずり出てきて…俺を掴んで、引き摺り込もうとするんだ…、……許さない、お前だけ生きてるのは許さない、って……」

訥々と語られる夢の内容は、過去に幾度となく見てきたのだろう。
自分の犯してきた罪は、辛くても向き合って生きていくと新しい人生を歩き出したアルヴィンを、今も尚苛み続けている。
漸く幸せになってもいいのだと、少しとはいえ思えるようになったことすら、そんな資格はお前にはないのだというように。

「…必死で足掻いて、抜け出そうとするんだけど…どんどん体が重くなって…体も、指一本動かなくなって…声も出なくなって……それでも何とかしないとって思うんだけど…もう…なにも出来る状態じゃ、なくなってんだよ………」

吐き出すように伝えられる凄惨な夢は、アルヴィンが歩いてきた道そのままを映したものだ。
人を欺き利用し、不要になれば棄て、都合が悪くなれば姿を眩ます。己の保身を第一に、その為に犠牲にしてきた人の怨嗟の塊が、アルヴィンを怨念渦巻くその渦中に引き摺り落とそうと、夢に出てくる。
こんな時、ジュードは自身の無力さに歯噛みする。
守ってあげたいと思うのに。アルヴィンはもう、幸せになってもいいと思うのに。
まだアルヴィンが、アルヴィン自身を許していない。その事に、気が付いていない。
夢はその現れだ。

「ねぇ、アルヴィン」
「…ん?」

出来るだけ何時も通りを装って、出来るだけアルヴィンに悟られないように、出来るだけ何でもない事のように。

「あのね、そっち行ってもいい?」
「はっ?」

突拍子もないジュードの要望に、それまでの重い空気を払拭するような、間の抜けた返答が返る。
我に返る時間は与えない。
言葉と同時に再度体を起こすとベッドから抜け出し、一歩先にあるアルヴィンのベッド脇に膝をつく。ジュードの体重を受け止めたベッドがキシリと鳴き、そちらにより沈む。

「ほらアルヴィン、もう少しそっち詰めて」
「え、あ…悪い…じゃなくて、ジュード…」

ジュードの意図が掴めず、混乱したままのアルヴィンをそのままに、モゾモゾと潜り込んできたジュードはピタリと寄り添い、少し考えてから体を離した。

「アルヴィン、もうちょっと下がってくれる?あ、そうじゃなくて下に」

何がなんだかわけの分からない状況で、言われるがままに更に端に寄ろうとしたアルヴィンを制し、言われた通りにする。首を傾げながらも大人しく言うことを聞くと、伸びてきた腕に頭を抱き抱えるようにして引き寄せられた。
これには流石に焦り、慌てて離れようとするものの、抱き締める腕は逃がさないとばかりに更に強く抱き込んでくる。

「ちょっ…ジュード、なに…」
「うん、あったかい…」

ぎゅうっと、抱き締められているはずの自分が抱き付かれているような感覚になる。
けれど、触れ合った場所からじわりと伝わる自分ではない誰かの熱に、抵抗の意思が削がれていく。
強張った体はいつの間にか弛緩し、ただ与えられた温もりに浸るように身を寄せた。
ゆるりと動いた手が、そっと髪を梳くように流れていく。

「………うん」

遅すぎる返事に返る言葉はなく、頭を撫でる手とは反対の腕の力が増した。

「アルヴィンがいてくれてよかった」
「………」
「せっかく一緒に住んでるのに、滅多に会わないから、暖房器具ちゃんとしてないもんね」
「………ん」
「やっぱり用意しなきゃ駄目だね。僕一人だと、寒すぎてちゃんと眠れなかったかも」
「…俺は湯タンポじゃねーぞ」

空気に溶け込むように、小さく落とされる囁きの中に聞き逃せないことを言われ、思わず反論すると笑った気配が伝わってくる。
けれど、それほど怒る気にもムキになる気も起きないのは、この温もりによるものだろうか。
心臓に近いその場所に押し当てるようにしているのは、ジュードがそう指示したからだ。
トクトクと伝わる微かな振動と確かな温もりは、嘘のようにアルヴィンの心を凪いでいく。

「明日、買いに行くか」
「でも、アルヴィン明日は仕事じゃなかった?」
「午前中には終わらせるから、待ち合わせて、昼飯は外で食おう…」
「うん。じゃあ夜はアルヴィンの好きな物作るから、食べたい物考えておいてね」
「そ…だな……じゃあ……久し…り、に…ジュードの……」
「アルヴィン?」

途切れ途切れになった声に目線を下ろすと、微かな寝息に合わせて上下する肩が目に映り、パチリと瞬いたあと後ふっと息を吐き出すように小さく忍び笑う。

「アルヴィン」

呼び掛けて返ってくるのは落ち着いた寝息だけで、安らかな寝顔に目を細めて微笑う。
望んだものを望んだ分だけ手に入れるには、まだまだ時間が足りない。
やりたいことも、やらなければいけないことも山のようにある。
けれどその中で、一人で頑張らなければいけないことなんて一つもないのだと、気付いてくれたら嬉しい。
ジュードにそれを教えてくれたのは、他ならないアルヴィンなのだから。

「ねぇ、アルヴィン。側にいるから」

そっと起こしてしまわないように気を付けながら、抱き締める腕に力を込める。

「もっと頼ってよ。頼りないかも知れないけど、出来るかぎりのことをさせてほしいんだ。僕は…」

抱き締めて、腕の中にいる存在を、その温もりを確かに感じながら、ジュードも目を閉じる。
祈るような切なさが、いつか届くように。
今はまだ、静かな眠りしかあげられないけれど。いつかその苦しみさえ、癒やせるようになるその時まで。

「僕はもっと、アルヴィンの側にいたい」

側にいさせてと、受け取り手のいない言葉は眠りと共に闇に溶けて落ちた。

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