TOV

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「お前っていい男だよな」
「は…?」

なんの前触れもなかった。いつものように窓から侵入を果たした彼は、自分の部屋であるかのように自由に振る舞っていたはずだった。
毎回お決まりの「正面から入ってこい」「めんどくさいんだよ」という形だけのやりとりの後、もらったばかりの菓子と飲み物を出して山積みの書類と向き合っている間、妙に視線を感じてはいた。
それが気になりながらも、相手にするほどではないと無言を貫いていた矢先の言葉がこれでは、誰だって手を止めて目を向けてしまうだろう。

「顔よし、性格はまぁオレに言わせば堅物だがよし、その若さで騎士団長様。下町出身ってのは一部にはマイナス要素だろうが、人当たりはいいし面倒見もいい。綺麗好きの世話焼きで、あとは…」
「ちょっと待ってくれ、ユーリ」

人の顔をじっと見たままつらつらと上げ連ねられる言葉の数々に、らしくもなく動揺してしまうのは、きっと普段言われることのない相手に言われているからだと思いたい。

「どうしたんだ、いきなり」
「いや、今日ここに来る前にフレン親衛隊とやらがまたキャーキャー騒いでお前を誉めちぎってたからな。そういやお前の顔なんてじっくり見たことねーなと思って」

そんなもの、僕もない。と返すにはあまりにも呆気に取られ過ぎていた。いまだまじまじと見詰めてくるユーリの視線に居たたまれなくなって、逃げるように視線を書類に戻す。

「それを言うなら、君こそ人気者じゃないか。あっちこっちで引っ張りだこになってるという噂をよく耳にする」
「そんなんじゃねーよ。うちのギルドは何でも屋みたいなもんだからな。顔は売っといて損はねぇ、ってのが首領のお言葉だ」
「そうでなくても、君は目立つよ」

自分の容姿に頓着していないと言うのは、自分がよく言われる台詞ではあるけれど、それはユーリにも当てはまるものだと常々思っている。
自覚のないユーリに呆れ混じりの溜め息と共に答えると、子供のように唇を尖らせ窓の方にそっぽ向く仕草は、成人男性がするものではないと思う。けれどそれをしているのがユーリだと言うだけで、違和感はなくなってしまうと思うのは欲目だろうか。
横を向いた動きに合わせて、長い黒髪がさらりと肩に流れる。ものぐさな性格をそのままに、ろくに手入れもされていない髪は、扱いに反して女性が羨むほどハリ艶があり、指を通せば絹糸のようにスルスルと抜け落ちるのを知っている。
見た目よし、性格には少々難ありだと思うけれど、基本的に面倒見は自分よりもいい。一度懐に入れてしまえば、全て彼の庇護対象となり、そうなった後の気配りには頭が下がる。期待の新星ギルド凛々の明星の特攻隊長、地上の黒獅子といえば、今や知らない人の方が少ないほどで、知名度は自分に引けを取らないだろう。
彼の周りには、いつも沢山の人がいる。自分の周りにも信頼出来る部下や頼れる上司はいるけれど、対等な立場としての仲間と言うには少し違う。根本的な所で、自身を取り巻く人達の質が違うのだ。

「僕は…君の方が、よほどいい男だと思うよ…」
「そりゃどうも」

軽く流し、全く真に受けていないユーリに、同じように言葉にして言ってやればどんな顔をするだろうか。きっと、思い切り嫌そうに顔をしかめて「それはお前だろ」と先程自分がしたように呆れながら言うだろう。もしかしたら、本気で気分を害して窓から逃げてしまうかもしれない。

(あぁ、それは嫌だなぁ)

折角会いに来てくれたのに、まだ全然話をしていない。せめて仕事が終わるまで待っていてくれるようにと、お菓子やお茶を用意したのに。
ちらりと横目に様子を盗み見ると、先程までの不貞腐れた様子はなく、ベッドに腰掛けて窓の外を見たまま、暇そうに足をブラブラさせて遊んでいる。怒った様子も、帰る様子もない事にほっと胸を撫で下ろす。束の間思案した後インクの蓋を閉め、ユーリに近付く。

「ユーリはいい男だって言ってる」
「わかったわかった。なんだよ、やけに突っ掛かってくんのな」
「そうじゃなくてね…」

訝しげな目を向けるユーリに曖昧に笑って返し、手を伸ばして前に垂れている髪を掬う。恭しく持ち上げて軽く引っ張ると、釣られるようにユーリの顔が近くなる。鼻先が触れ合いそうな距離になっても、怪訝な表情を向けてくるばかりで、離れようとか離そうとかいう気配は全くない。それもそうだろう。それこそずっとこの距離で、あるいはもっと近い距離で共に育ったのだから。
ユーリのパーソナルスペースが狭いのはよく知っている。自分を信頼してくれているからこそ、なんの警戒心もなくこの距離を保っていることも。
本当は、下心をひた隠しにしているなんて、考える事もしないだろう事も。
けれど、限りなくゼロに近いこの距離も、ゼロではない。コンマ以下のあるかないかもわからないほど小さな数字が、邪魔をしている。

「いつか誰かに、取られそうだな、と思って」
「はっ?」

ますます訳がわからないと、げんなりした表情を返すユーリに苦笑で答える。

「だから、誰かにユーリを取られたら嫌だなって言ってるんだ」
「お前まじわけんかんねぇ」

渋面を作るユーリに溜め息が漏れる。殊、向けられる恋愛感情に関しては鈍感だとよく言われるし、ユーリにも何度か言われた覚えがあるけれど、今後ユーリにだけは言われたくない。
鈍感とぼそりと呟いてから、絡め取っていた髪を握る。

「これだけ言ってもわからないなら、ハッキリ言おうか?」
「オレがまどろっこしいのは嫌いだって知ってんだろ?いいからさっさと言えよ」
「そうだね。最終手段は体当たりって言い始めたのはユーリだし、お望み通りそうさせてもらうよ」

にこりと笑い、握った髪に口付ける。その所作にポカンと呆気に取られたユーリに構わず、唇を合わせた。
閉じることを忘れた黒い瞳が見開かれ、重ねた唇の奥でユーリが息を飲んだのがわかった。じっくりと数秒、触れるだけに留めたキスを解くと、ゆっくりと離れる。
瞬きさえ出来ずにいる瞳に凝視され、いたずらが成功したような気分になってきた。

「つまり、ユーリが好きってことなんだけど」

ことりと首を傾げ、追い討ちのように告げると、ようやく戻ってきたらしいユーリの顔がじわじわと朱に染まっていく。口元を手の甲で隠し、わなわなと身体を震わせている。

「なっ、おま…なんっ!………っ!」
「その反応は、ちゃんと伝わったと思っていいんだね?」
「この馬鹿っ!いきなりキスする奴があるか!」
「ユーリが言えって言ったんじゃないか」
「言ったがキスしろとは言ってねぇ!」

信じらんねぇと文句を言い、睨み付けながら、離れることも殴ることもしないユーリに笑みが隠せない。つまりはそういうことだと、言外に言っているようなものだ。
ユーリ、と出せる限りの甘い声で名を呼ぶと、一瞬ビクリと肩を跳ねさせたユーリを忍び笑う。
今更警戒心を見せたところで、もう遅い。
走り出した感情は、砕かれるまで止まれない。

「で、君の返事は?」
「……」
「キス、嫌だった?」
「…………」
「気持ち悪い?」
「………………」
「ユー…」
「お前、ズルい」

言葉尻を遮ったユーリの恨めしげな声に、今度はフレンがキョトンとする番だった。
腕で赤い顔を隠しながら、隙間からじっとりと睨めつける目が本気ではないのは見てわかるけれど、意図が掴めない。

「ユーリ、はっきり言ってくれないか?遠回しな言い方が嫌いなのは僕も一緒だって知ってるだろ?」
「…っの!」

ますます顔を赤らめ戦慄くユーリも、今は可愛くしか見えない。言葉の続きを待ちながら、盲目だなぁと他人事のようにのんびりと考えていた。
二三度パクパクと口を開閉し、結局なにがしかを言葉にするのを諦めたようにがっくりと項垂れてしまった。

「ユーリ?」
「うっせ、話しかけんな」
「でもユーリ、僕はもっと君と話したい」
「オレは話したくない」
「そうか。じゃあ君が話したくなるまで勝手に話してるよ。そうだな…覚えてるか?僕らがまだ小さくて」
「って、なんでそうなんだよ!一人で喋るとかあやしすぎんだろ!」
「なら君が相手をしてくれればいい」
「あーもー!察しろよこの鈍感!空気読めっ!」

ユーリにだけは言われたくないと思ったばかりの台詞をあったり言われ、思わず顔をしかめる。納得いかない顔を見て盛大につかれた溜め息は呆れだろう。腑に落ちない。

「ユーリ、やっぱりわからない。はっきり言ってくれないと、僕の都合のいいように解釈するけど、いいのか?」
「…勝手にしろ」

ふいと背けた横顔から赤い耳が覗く。都合よく解釈していいらしいので、誘われるまま真っ赤に染まった耳に顔を寄せ、ぺろりと舐めてやると耳を押さえて物凄い勢いで距離を取ろうとした。その前に腕を掴んで引き留め、ついでに文句を言われる前に口を塞いだ。

「…っ、…………んんっ……」
「ユーリ」

ひとしきり咥内を荒らし、息苦しさに身を捩って逃げようとした頃にようやく解放してやる。瞳に涙の膜を張り、肩で息をしているユーリの耳元で息を吹き込むように言葉を紡ぐ。

「ユーリ、すきだよ」
「好きじゃなきゃ、こんなの許すかよ…」

この距離だからこそ聞こえたようなか細い声で返ってきた返事に、思い切りその身体を抱き締めた。

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