TOV

□・・・が好き
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「っくし!」


抑えたくしゃみが聞こえてそちらに目をやれば、窓際に腰掛けてぼーっとしていたユーリがグズっと鼻をすすっていた。


「ユーリ、風邪か?」
「んや、そんな事ないと思うけど…流石にそろそろ夜は冷えんな」


ちょっとさみぃと言いながらも、前をだらしなく開けたままのユーリは何度言っても身嗜みを整えない。本人は窮屈なのが嫌いだと言って譲らないが、騎士であれギルドに属する者であれ、身体を資本とするならば自己管理は基本中の基本であるが故に、それが原因で風邪を引きましたなど、弁解の余地もないだろう。
とりあえず、夜風の舞い込む窓を閉めてからユーリに説教の一つでもしてやろうと窓に近付いたところで気が付いた。
ユーリには、何度言っても治らない、という事柄が多々ある。今気付いたこれもその内の一つではあるが、例によってユーリは聞き入れていないらしい。フレンの表情がじわじわと険のあるものになっていく。


「ユーリ、床が濡れてる。あれほど髪はちゃんと拭いてから出てこいと言ってるのに、君は何度言えばわかるんだ」
「だってめんどくせぇんだもんよ」
「だったらその長い髪を切れ!女の子じゃあるまいし、願掛けでもしてるのか?」
「願掛けってそれこそ女じゃねぇんだから。別にんなもんねーよ。ただ切るのもめんどくせーだけだ」
「全く君は…どれだけものぐさなんだ。そこまでいくといっそ感心するよ…」


いつもなら水掛け論で口喧嘩に、時には殴り合いにまで発展するところが、今日は珍しくあっさりと身を引いたフレンが溜め息と共に洗面台へと足を向ける。
不思議に思いながらも、母親並みに細かい小言を言われないのはこれ幸いと、ユーリも大人しく口を噤んだ。折角鎮火した火を再び炎上されるのは得策ではない。触らぬフレンに小言なし、だ。
扉の向こうに消えたフレンが大きめのタオルを手に戻ってきたのを他人事のように眺めていたユーリは、目の前まで戻って来たフレンにいきなり腕を引かれたのに反応しきれず、バランスを崩してこけそうになったのを慌てて態勢を立て直した。些かフレンに縋り付くようになってしまったのは致し方ない事だと、気にしない事にした。
そのままベッドに座らされ、何がなんだかよく分からないまま、されるがままのユーリの頭にバサリと何かが被せられた。それが先程フレンが手にしていたタオルだと認識した時にはガシガシと髪を拭かれていた。


「ちょ、痛…いてーってフレン!」
「うるさい。そもそも君がちゃんと髪を拭かないのが悪いんじゃないか」
「だからってんな乱暴にする事ねーだろうが!」
「ユーリ暴れるな。子供じゃないんだからじっとしてろ!」


振り仰ごうとした頭をガシッと固定される。純粋な力だけでは敵わない事はわかっているので、渋々大人しく俯くと、先程より優しくなった手がゆっくりと丁寧に髪の水分を拭っていく。


「せっかく綺麗な髪してるんだ。どうせ伸ばすならちゃんと手入れくらいしたらどうだ?」
「お前さ…乾かすのも切るのもめんどくせーとか言ってる奴がわざわざんな事すると思うか?」
「思わないな」


自分で話を振っておいて、逆に聞き返してやると、即答で返って来た否定の答えに溜め息が漏れる。
ガシガシと乱暴に見えて丁寧に扱われている自分の髪を思い項垂れると、下を向き過ぎだ、拭きにくい。と無理やり顔を上げさせられる。
らしくないフレンの行動を不思議に思いながらも、小言を言われ続けるよりはいいかと黙って頭を拭かれる事数分。視界の両サイドでフレンの動きに合わせてパタパタと揺れていた白いタオルが消えたかと思うと、櫛を通される感覚に思わずつられて首を仰け反らせた。


「ユーリ、じっと前を向いててくれないか」
「あ、悪い…」


濡れた髪は櫛に合わせて一緒に少し引っ張られる。その感覚が落ち着かなくてつい一緒に首を反らしてしまうが、それではやりにくいとフレンが不満を零す。
フレンが勝手にやっている事ではあるが、濡れたままより乾かした方が寒くないのは確かで、めんどくさい事を代わりにやってくれるならそれくらいは黙って聞き入れようと、引っ張られる頭を一生懸命つられないように固定する。
するすると通される櫛に引っ張られる感覚も薄れて来た頃、カチリとスイッチの入る音に続いて吐き出される温風に髪が煽られ始めた。
熱が集中しないよう、髪に指を差し入れ上から下へと流していくフレンの手つきは慣れたもので、心地よさに眠気を誘われたユーリは、気を抜けば舟を漕いでしまいそうになるのを必死で堪えながらも、うとうとと瞬きを繰り返す。


「もう少しだからまだ寝ないでくれ、ユーリ」
「…起きてるよ」


フレンは自分の後ろにいて、ユーリの顔など見えていないはずだ。
それにもかかわらず、ハッキリと確信を持って釘を指すフレンに、なんで分かるんだよと胸の内で零すと、それすらも見透かしたようにフレンの答えが返ってきた。


「あのね、どれだけ一緒にいると思っているんだい?君の事ならわかるさ」


君は分かりにくいところは本当に分かりにくいけど、分かりやすいところはとことん分かりやすいから。
そう続けるフレンの声がどこか可笑しそうで、思わず反抗心が沸き起こりそうになる。
自分と違ってふわふわの短い髪。癖っ毛なのか、あちこち跳ねて落ち着きのない髪は細くて柔らかい。
その髪にそっと指を差し入れて、さらさらと指の間を逃げる感覚を楽しむように繰り返し梳く。


「なに…?乾かし難いんだけど」
「いや………オレお前の髪好きだわ」
「…は?え…?……いや、ありがとう?」


一瞬きょとりと瞬き、珍しく焦ったようにしどろもどろに答えるフレンにクツクツと喉の奥で笑う。
他意はなかったが、こうしてフレンの虚を突いた事には優越感を覚える。
ニヤリと笑うユーリにムッと顔を顰め、髪に向けていた温風を顔に向けてやる。


「ちょ、おわっ!おまっ、それ!!」
「ユーリが悪い。もうすぐ終わるから大人しく前を向いてろ」
「へいへい」


からかわれたフレンはブスッとした不機嫌面で、それでもユーリの髪を乾かすのを止めない。
これ以上の軽口は自分の身に害が及ぶと判断し、大人しく従う。
機械音だけが響く狭い部屋で、ユーリの髪に指を通していたフレンが、ポツリと呟く。


「……だな」
「ん?なに?」
「だから…」


フレンの小さな呟きは風音にかき消されてよく聞き取れなかった。
聞き返すと最初より少し大きくなったフレンの声と、カチリとスイッチの切られた音が重なり、束の間の静寂が訪れる。


首を反らしてフレンを見上げれば、乾かし終えたばかりのユーリの髪を一房手に取るフレンが目に入った。


「フレン…?」
「僕も、ユーリの髪、好きだよ」
「…っ!」


手にした髪に唇を寄せ、恭しく口付け、ニコリと笑う。
一連の動作に見惚れ、呆けた顔で見ていた事とフレンの行動に恥ずかしくなり、勢いよく顔を逸らす。
顔が熱い。


(ムカつく…)


小さく舌打ち、胸の内で毒突く。


「ユーリ?顔赤いよ?」
「うっせぇ、この天然!」


ムカつく。ほんとにムカつく。
タラシ、と天然に続く言葉を飲み込み、陥落させられた事を自覚したユーリはフレンの顔をまともに見る事も叶わず、かと言ってやられっぱなしは性に合わない。
さて、どう仕返してやろうかと目論むユーリの頭の上では、フレンの楽しそうな忍び笑いが続いていた。

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