H-book

□あと一歩
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部屋の隅にビチビチと小刻みに震えながら、メトロノームのように一定のテンポを保って揺蕩うそれをじっと眺め、溜め息を一つ。
後悔は先に立たないと言うけれど、全く持ってその通りだと思う。
桃源郷へ帰る道すがら、リヤカーに溢れんばかりの花を積んだ花売りに呼び止められ、足を止めたのが運の尽きとしか言いようがない。
各々咲き誇る天界の花に紛れた異質なソレに目を止めてしまったのも、また。

「お一つ如何でしょうか?」
「ソレは…」

店先でピタリと立ち止まる。一点を凝視している事に気付き、控えめに声を掛けてきた店主に問うと、目線を追ってソレが指すものを見る。
慎ましやかな色とりどりの花の中で、異様な存在感を放っているそれを、どこかで見たことがあるような気がする。

「これですか?金魚草っていうんですけど、今すごく人気なんですよ。地獄で流行しているものなんですけど、動物なのか植物なのか分からないところがいいとか、育てていくのが楽しいだとか」

あと澄んだ瞳に癒されるとか、鮮やかな色に惚れ惚れするとか…
ツラツラと上げられる人気の理由は最早耳に残らず、右から左へ流れていく。金魚草と、その名を耳にしたその瞬間からザルになってはいたけれど。
見たことがあるような気がする、のではなく、見たことがある。と言うよりは、見せ付けられたと言った方が正しいかもしれないけれど。
頭の中でフラッシュバックを起こし、ヒクリと頬が痙攣した。
いやはや本当に、一体全体どこが可愛いのか全く以て理解出来ない。どちらかと言うと気持ち悪い。なのに、誘われるようにふらりと吸い寄せられ、他に幾らでも楚々として可憐な花があるというのに、ソレを手に取りあまつさえ購入するに至ってしまったのは、

「おや、いい色艶した可愛いこですね」

コイツのせいだ。
突如沸いて出た、今まさに頭の中思い描いた人物、鬼灯そのもの。神出鬼没って言葉はコイツが作り出したんじゃないかと思う。ってことで、文字通りさっさと没してくれないかな。
願い空しくマジマジと観察し始め、感嘆の溜め息までついている。溜め息をつきたいのはこちらの方だ。

「白澤さん、このこどこで見つけました?」
「えっ?ああ…道端」
「は?」
「で、店を開いていた花屋」

そんなドスの利いた声で威嚇しなくてもいいじゃないか。冗談の通じない奴だな、まったく。大体それが人にものを尋ねる態度か。
ぶちぶちと文句を言ったところでコイツには焼け石に水、暖簾に腕押し。無駄なことはしない主義だけど、文句は言いたくなる。
熱心に観察しながら顎に手を添えて、何事か思案している姿に、何となく目が離せなくなり、僕が買ってきた金魚草を観察する鬼灯を僕が観察するという、何とも微妙なシチュエーションが出来上がる。
なんというか…こうして黙っていれば割りとイイ男なんじゃないか。地獄ではキャーキャー騒がれているようだし、僕ほどじゃないけどモテているらしいし。あ、なんか今モヤッとした。コイツがモテてるなんて、何かの間違いだ。

「上手く育てれば、今年の大会で優勝出来るかもしれませんよ」
「はっ?」
「なんですか、人が折角イイコト教えてあげたのに、聞いていなかったとでも言うんですか、何様だ」
「いや、お前こそ何様だよ。僕はそんなこと頼んじゃいないよ。だいたいなんでそんなことわかるんだ」
「独自の品種改良を重ねに重ね、大会では三年連続優勝、遂に殿堂入りを果たし今では審査員を勤めている私の言葉が信じられないとでも?」
「うわー…ないわ」

ほら見ろ、なんでこんなのがいいんだか。世も末ってこういうことを言うんじゃないのか。
傲慢で横暴で理不尽で自分勝手で自信家で、思い遣りのカケラもないドSの鬼神だよ。そりゃ、あの閻魔大王の第一補佐とかやってるし、意外と動物には優しいし、面倒見も悪くないらしいし…あれ?普通にすごい奴なんじゃないの?
不機嫌丸出しの顔をしてじっとこちらを見据えるその目を、負けじと見返し首を捻る。

「なんですか」
「そっちこそなんだい」

やっぱりさっきの評価は気のせいだ、全部嘘。だって僕にはちっとも優しくない。顔を見ればいがみ合いの殴りあい。一の嫌味に十の返し。終わらない不毛な罵詈雑言の掛け合い。それが僕と鬼灯の関係。
他の奴らには、そんなこと全然ないくせに。

「…埒があきませんね。時間も無駄ですし、私は忙しい。さっさと本題を済ませましょうか」

無言の応酬が終わり、ふいと顔を背けられる。どうやら僕が買ってきた草が相当気になるらしく、目線はゆらゆら動く不思議動植物に注がれている。話をする時は目を見てしましょうって習わなかったのか。だけどそれは口にするとなんか負けのような気がするから、絶対に言わない。
その件に関しては口を噤み、別のことを口にする。

「薬でしょ。仕事はちゃんとやってるよ」
「なら結構。請求書送っておいて下さい」

僕の声に、やっと向き直った。別に草と張り合ってるわけじゃないけど。
棚から頼まれていた丸薬を取りだし手渡す。中身を確認せず懐に仕舞うのを見て、いつもならさっさと帰れと追い払うけれど、今日はそんな気分じゃない。代わりに、さっさと踵を返した鬼灯を引き留めるかのような一言を投げ掛けた。

「それ、確認しなくていいの?偽物かも知れないよ〜?」

振り向き、眉間に皺を寄せて渋面を作る鬼灯の神経を逆撫でする、惚けた笑みを浮かべる。
そう言えば今日は口論らしい口論もしなかったなと、ふと気付く。顔を合わせて手も足も出ていないなんて、明日は槍でも降るかもしれない。
胡乱な顔付きで探るような視線を向けていた鬼灯に、なにを馬鹿なことをと言わんばかりの呆れきった表情を向けられ、拍子抜けする。解せない。

「もし偽物なら、もちろん当然料金は支払いませんし、ありとあらゆる手段を講じてこの店を潰す」
「贋作掴まされたくらいでやりすぎだろ!?」
「当然の処置です」

あぁ、なんでこんな奴引き留めたんだろう。さっさと返すべきだった。ほんとにどうかしてる。今日の僕どこかおかしいんだ、もう店も閉めた方がいいかもしれない。
なにを言い返す気力も根こそぎ削がれ、ガクリと項垂れる僕なんてそっちのけで、ちゃっかり草に挨拶して扉へ向かう。けど、そうじゃないだろう。挨拶すべきは草ではなく、ここの主である僕で…あぁ、もうどうでもいいや。
いつものようにシッシッと手で追い払う仕草を視界の端にでも捉えたのか、ビッと立てた親指を下に向ける。今から地獄に行くのはお前だろうが。
まったく、最初から最後まで嫌な奴だ。アイツとは何回生まれ変わっても合う気がしない。
いっそ呪われているのではないかと思い始めた時に、スタスタと出て行こうとしていた足がピタリと止まり、あ…というと共にクルリと向きを変えた。

「一つ忘れてました。後日そのこにいい水と良質な肥料送ってさしあげますよ」
「どうだっていいよ、そんなの」

そのこ、と指差しどこか爛々といつになく目を輝かせているその顔が非常に腹立たしい。ここに来てから草の話しかしてないんじゃないのか、一体何しに来たんだコイツは。
ユラリと沸いた殺意はいつものことだけど、今日はその矛先が鬼灯ではなく、草に向かう。
そもそも全ての元凶はこの草にある。こんなのが道端で販売されてたら誰だって足を止めるだろう。ましてそれが、散々語られたことのあるものなら、尚更。
こうなれば早々に枯らして金輪際関わりを絶とう。これに拘わるとロクなことにしかならない。
ほんとになんでコイツはこんなものを気に入ってるんだか。
立ち去る背中を見送り、とりあえず嵐が去ったことに胸を撫で下ろす。そのまま目線を移せば視界に入る金魚草。

「あ、もう一つ忘れていました」
「なに、まだなんかあるの?」

再度足を止めて振り向いた鬼灯の目線は、僕に向けられている。ほんとにもう、

「アナタのことは嫌いですが、アナタのそういうところは好きですよ」

では、と爆弾発言を残して颯爽と帰って行く。
残された僕の頭はフリーズしたまま、さっきの言葉だけがぐるぐると壊れたレコーダーのように流れている。

「はっ?ちょ、ちょっと待って。今なにか、聞き捨てならないことを言われたような気がしたんだけど…」

それこそ、天地がひっくり返っても言われないようなセリフを言われた気がする。
だいたいそういうところってどういうところだ。言葉をあやふやにするのは日本人の悪い癖だと思うよ。
ほんとにもう、わけわかんなくなるから振り回すのは勘弁してくれよ。
今度こそ一人になれてよかった。じわじわと顔が熱くなってるのは、混乱しまくって頭がオーバーヒートしたから、なんて誤魔化しをする必要がないから。
とりあえずこの動植物をどうするかは、水と肥料が送られてきてから考えることに、しよう。

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