□もう一度、名前を
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空はどこまでも蒼く澄んでいた。


戦の終わらない時代に似付かわしくないほど、この場所には平和な時が流れる。



この蒼空が近く、遠い先の方まで見える静かな場所で、俺はある人をずっと待っていた。

いつ帰るかも分からない、むしろ帰って来ないかもしれない、そんな人を、もう何年もの間待ち続けていた。


今日は帰って来るだろうか。

明日は。明後日は。


…いつになったら、帰って来てくれるんだろう。


生きているのか、いないのか。

それすらも分からない。


それでも朝から晩まで待ち続けて、夜にはあの人の居ない現実に胸が押し潰されそうになりながら眠る。


どうかあの人が、怪我や病気をしませんように。

あの人がもし、俺を忘れて知らない女と幸せになっていても、構わないから。

生きて、元気なあの人の笑顔をまた見られるなら、俺は何も要らないから。

































その日の空は、鉛色をしていた。

今にも雨が降りそうで、ほんの少し肌寒かった。


村が赤く染まる。

敵国が攻めてきた。

敵国の進軍。
それはあの人の隊が負けてしまったことを示す。

火に焼かれ矢に打たれ、村は村としての機能を無くしていくのを、ぼんやりと見下ろしていた。


逃げなければ、殺される。

それでもいいかと思うのは、待つ意味が無くなったからだろうか。

待つことに、疲れてしまったからだろうか。


あの人は居ない。
帰らない。


「……!?」


騒がしい足音が近付いてきたと思えば、突然口を塞がれ体を引き込まれた。


敵国の兵だろうか。

このまま殺されるのだろうか。

パニックになり、俺の頭の中にはあの人の事だけが渦巻き、無駄なことと判断もできずあの人に助けを求めようと必死になる。


相手も必死に俺を押さえ込もうとした。

暴れる腕や足を押さえつけようとする赤い腕。

そんな腕に、あの人を連想して余計に涙が溢れた時、耳元で囁かれた。


「…落ち着け、クルル。俺だ、ギロロだ」

「…ッ!?」

「静かにしろ、見つかる」


その声と共に複数の足音がした。

こっちにいたか、なんてやり取りが聞こえ、また足音は遠ざかる。


完全に気配が消えた瞬間に、押さえ込まれていた体が自由になった。


心臓がうるさい。

体が動かない。


聞こえた声は幻聴か。
これは夢なんだろうか。


「…クルル」


優しい声、だ。

振り向く前に体が引き寄せられて、ああ、この、懐かしい顔は。


「…ギ…ロロ、せんぱい…」

「ああ。ただいま、クルル。…ただいま」


強く強く抱き締められる。

この匂い。暖かさ。
ああ、本当に、本物なんだ。

帰って、きたんだ。


「…とっくにくたばってんだと思ったわ」

「勝手に殺すな、阿呆」


ずっとずっと待ってた。
帰ってきてほしいと願いながら、いつでもアンタのことだけを。

けど、口から出るのはかわいげのない言葉で。

それなのにアンタは、笑って頭を撫でてくれる。


「…そう思うのも、無理ないな。……クルル、待たせてすまなかった」

「…べ、つに…待ってなんかねえ…っ」

「ははっ、泣きながらよく言う。素直じゃないのは相変わらずだな」


ぎゅ、とせんぱいに抱き付いた。

もう言葉なんか出て来ない。
ただただ、涙が流れ落ちる。


「…すまんクルル。こんな迎え方で。危険な目に遭わせてしまった」

「…っ」


先輩はポツリポツリと呟いた。

我が国は敵国に敗れ、兵は皆散り散りになってしまったらしい。

そんな中で先輩は、主人である友とこの村の近くまで逃げて、そうして敵国の進軍が始まったと聞いて、いてもたってもいられず走って来たのだと。

それだけを聞いて、俺はただひたすら先輩の背を撫でながら静かに泣いた。

「会えて良かった」と震える先輩の声に、何度も何度も頷いて、強く強く抱き締め返して。


そうしてしばらく泣いたあと、落ち着きを取り戻した先輩は俺を抱きしめながら座り込むと顔中にキスをし始めた。

くすぐったいと身を捩ると、唇を塞がれて久し振りのキスをした。

長く長く、何度もキスを繰り返す。

離れたくなかった。
このまま時が止まればいいと強く願った。

唇を離す先輩に、縋るような視線を送る。


「……せんぱい…」

「…そんな顔をするな。お前の顔をよく見せてくれ。話もしたいんだ、今までどうしていたのか、全部」

「………く…」

「………痩せたな、クルル。あまり眠れていないだろう?隈がひどいぞ」

「………あんたは…顔にでかい傷作ったんだな」

「…ああ、最初の頃にな。痛みに随分魘された」


可哀想な人だ。
俺が側にいたなら、痛みに苦しまず直ぐに治してやれたのに。


「……浮気したりしたかい?」

「するかバカモン。…貴様こそ、大丈夫だろうな?へんな奴らに手を出されたりしていないか?」

「クク…俺に手を出す命知らずのおバカさんはアンタだけだよ」

「……俺は気が気でなかった。お前が俺を忘れて、知らない奴と笑い合っていたらと思うと…」

「…そんなわけあるかよ。……俺は、アンタをずっと待ってたんだ。忘れられててもいいから、早く帰って来いよって……アンタを愛してるから、俺はまだこの村で待ってたんだ」

「クルル…」

「……もう、どこにも行かないで。…………ずっと俺の側に居て」


離れたくない。離れたくないよ。

また寂しい想いをするのは、先輩が居ない日々を過ごすのは、もう嫌だから。


「……俺を一人にしないって…約束して」

「…ああ、約束だ。約束しよう、クルル」


強く強く抱き締められる。

いつまでもいつまでも、ずっと一緒に居られるようにと願いを込めて。



――ふたりは、目を閉じ、そのまま二度と目を覚まさなかった。









時代は廻る。


二人は出会う。



"また会えた"


そう懐かしむことはないけれど



"愛してる"


そう愛を交わし合う事は、出来るはずだから





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