□キミ想う花を
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 しまった、と思った時には手遅れだった。
 ケロロの手から離れた小瓶が宙を舞い、弧を描いたそれは見事にそいつの元へと降り注ぐ。

 ぱしゃりと水の跳ねる音、空になった小瓶が床に落ちて割れる音。

 ピンク色したその液体は、先刻訪れた西澤桃華が奴に頼んで作らせた薬品。
 ――所謂、惚れ薬というやつだ。

 改良に改良を重ねて作られたそれは、最初に見た相手の名前を呼ぶとその相手を好きになるらしい。

 ばっちり目が合ったその黄色い後輩。
 薬の効果を知っている張本人だ、迂闊に俺の名前など呼ばないだろうとほんの少しだけ期待したが、そいつ――クルルは、にやりと笑った。


「ギロロ先輩」

「なっ…!」


 後ろで依頼主の悲鳴、ケロロの宥める声。
 クルルはくつくつと笑いながら、割れた小瓶の破片を拾った。


「あーあ、もったいねーことしてくれたなァ…こいつに使う薬草は滅多に手に入らねェ稀少種だ。さすがに作り直せねェぜ」

「何てことしてくれてんだテメエ!」

「ゲロォッ!も、桃華殿おちけつであります!」

「ク〜ックックックック…」


 クルルは楽しそうに笑い、スッと俺を見る。思わず後退りした俺を見て、クルルはまたくつくつと笑った。


「…何もしねっての。薬の効力は三日間…それまであんたに想い馳せながら大人しくしててやるぜェ〜?」

「……そっ、そうか?」


 想いを馳せられるのも何だかおかしな気分だが、まあ三日間。大人しくしてると本人が言うのならば。


「ったく………早いとこ解毒薬作りてーとこだが材料も入手困難だからなァ…しばらく誰もラボに来るなよ、薬抜けるまで」


 割れた小瓶の破片を拾い集めたクルルはぶつくさ言いながらラボに引きこもってしまった。

 やれやれと脱力しながら、騒がしい後ろを怒鳴る気にもなれずテントに戻る道すがら、リビングを通ると夏美に声をかけられる。


「あ、ギロロ。桃華ちゃんは?」

「西澤桃華ならまだ地下基地にいるが…そろそろ戻って来るんじゃないか?」

「そう?あ、クッキー焼けたからボケガエルたち呼んでくれる?」

「あ、ああ」

「冬樹ー!クッキー焼けたわよ〜!」


 成る程、確かに甘くいい匂い。

 夏美のクッキーに心踊らせながら、きっと今頃サンドバッグになっているであろうケロロやタママに連絡をする。
 ヘロヘロな様子の応答が聞こえ、仕方無く冬樹も居るぞとついでに言えば、コロッと態度が変わった様子の西澤桃華の声が聞こえた。
 これであいつらはいいとして。
 ………問題はクルル。

 クルルが来るとは思えない、ましてや今のクルルの状態で連絡を繋ぎたくもない。
 どうすべきか思案していると、地下基地に居た三人と、モアがリビングに入ってくる。

 夏美が首をかしげながら「クルルは?」とケロロに聞いているのを見て、仕方無くクルルに連絡を繋ぐ。


『…なんスか?』

「夏美がクッキーを焼いたそうだ」

『………………で?』

「食わんならいい」

『……一応言っとくけどよ、俺、薬のせいであんたが好きなわけだ』

「…あ、ああ、だからなんだ」

『………やっぱいい。クッキーもいらね』


 プツ、と通信は切れた。
 夏美にその事を告げると予想はしていたらしくたいして気にも止めた様子はなく、ケロロたちとクッキーを食べ始める。

 夏美の隣に座り、俺もクッキーを口にした。

 甘さ控えめに作られたそれは、甘いものが苦手な俺でも食べられる。

 しばらくリビングで談笑しながらクッキーを食べていると、ひょっこり顔を出す黄色。
 クルルは扉の前で黙ったままじっとこっちを見たかと思うと、そのままゆっくりと歩み寄りあろうことか無理やり夏美と俺の間に割り込んできた。
 当然抗議の声をあげるが、クルルは黙ったままそこに体育座りをしてただじっとしているだけ。


「何よ、食べないんじゃなかったの?」

「………」

「というか狭いぞ!あっちが空いてるだろうがっ」

「………」

「…はあ、もういいわよ。あたし退けてあげるから」

「な、夏美っ…」


 ため息をつきながら席を移動し離れる夏美。クルルの分の紅茶を持って、夏美はケロロの隣に座った。
 ………クルルのせいで夏美と…ああっくそ!


「クルル貴様…っ」

「…………いつもなら我慢出来るのにな」


 ぼそり、誰も気付かないくらいの声量でクルルは言う。あまりにも嘆くような言い方に、怒りも少し収まりどういう事だと視線で訴えた。
 俺の顔を見ることなく、クルルはまたぼそぼそと続ける。


「…薬の効き目、こりゃ厄介だぜェ…」

「……さっきのか?」

「ククッ……おとなしくしてるつもりだったが、どうも難しい…邪魔をしたくて仕方ねェ」

「邪魔?」

「……何度言わせりゃ気ィ済むんだい。薬のせいで俺はあんたが好きなんだって。…あんたと同じように、嫉妬してんの。あんたが夏美と居るのが気に食わねェってのがなんでわかんねェかな」

「…………そ、そうか」


 薬とはやはり厄介だ。それにしてもクルルの態度もどうにかならないものか。
 いつも以上に扱いにくいというか、調子が狂う。
 ピタリと寄り添うようにからだをくっ付けるクルル。夏美のクッキーには手を伸ばすことなく、ただ俺の側に。薬の一連を知らない夏美や冬樹には不思議な顔で見られるのが少し気まずい。
 仕方無く事情を説明すれば(西澤桃華のことはこの際伏せてやる)、なるほどと二人は納得したらしい。

 …それにしても、嫉妬か。薬のせいとは言え、こいつにもそういう感情があったのか。自分以外を見下すような奴が、こうして余裕がない行動をする。それが意外だ、珍しい。

 クルルを見ているとふと目が合った。普段なら何ともなく顔をそらすが、クルルがほんの少し頬を赤らめ困ったように俯く。それに驚いてどきりとした。


「…あんまじろじろ見んな。あんただって好きな奴にじろじろ見られたら困るだろ」

「は。あ、あぁ…すまん。少し珍しいと思って」

「……何が」

「この惚れ薬の解毒薬くらいさっさと作ったらどうなんだ?」

「ククッ…おいおい、簡単に言ってくれるねェ…稀少種をやっと手に入れて作った貴重な薬だ、解毒剤も簡単じゃねぇっつったろ?それに研究データはしっかり取らないと勿体ねェからなァ」

「俺は協力なんてしないからな」

「いいっスよ別に、勝手に好きでいるから。…迷惑かもしれないけど…………ちょっとは我慢してくれ」


 ぎゅ、と、あまりにも自然に手を握られた。
 慌てて振り払うと、クルルが一瞬表情を強張らせそれから力なく笑う。
 ジョーダンっスよ、なんて手をヒラヒラとさせながら、ゆるりとソファーを降りた。
 クルルが触れていた肩が、急に冷える。思わず目で追ってしまった。


「…わり、やっぱりこりゃあ重症だ。薬が切れるまで何するかわかんねーな…」

「クルル?」

「…嫌かもしれないけど…好きでいさせてくださいよ、ギロロ先輩。……少しの間だけだから」


 なんだからしくない声色。仕方無い、実験に巻き込まれる中でおそらく一番精神的にはハードな実験だが、今回は俺ではなくクルル自身が被験者だ。協力はしないと言ってやった、承諾したのだから俺に害はない。

 夏美といる度に邪魔をされては困るが、たかが数日我慢すればいい話だ。


「……構わん、だが下手な行動を取ればただじゃおかんからな。特別扱いなんぞせん」

「くっく…ご協力感謝…実験が終わったらいいもんくれてやる、それでチャラな」


 くつくつ笑いながら、クルルはひたひたと歩いてリビングから出て行った。
 あいつのいいもんと言うのにはあまり信用出来やしないが、まあいいだろう。


 手に残る感触、クルルの手のひらの体温が少しだけ冷たかった。









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