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□風邪にご用心
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喉の異変に気づいたのは、訓練という名目で行われた海水浴から帰る道すがら。ん、ん、と鳴らす喉に違和感を感じる。
海水を飲み込んだせいだろうか。クルルはペットボトルを取り出して水を飲む。
喉を擦りながら、船を自動操縦へと切り替えた。
隣にいたギロロが「どうした」と声をかけたが、クルルは何でもないと返して疲労から来る睡魔に誘われるようにして目を閉じた。
――身体の気だるさと、熱っぽい己の吐息にようやく風邪を引いたのだと知ったのは、翌日のお昼過ぎ。
「…マジか」
風邪など滅多に引いたこともなく、それも地球に来てから病気らしい病気はしなかったというのに。
とにかくこれがただの風邪であるかどうかを、ボンヤリする頭を駆使しながら機械に向かい確認した。結果はやはりただの風邪。
いつもならこの時間には補佐であるモアが来ているはずなのだが姿が見えない。モニターを確認すると、どうやらケロロの代わりに庭の掃除をしているようだった。
「…っと」
ふるりと身体が震えた。寒気がする。これは熱が上がっていくなと、おとなしく布団に戻ろうとした、そんな時だった。
「入るぞ」
そう声がしたのは一人だったが、後ろにはもう一人。
ギロロとケロロがラボへと入るのを見ながら、クルルはボンヤリと今日が定例会議の日であったことを思い出した。
「なんだ、居るじゃないか」
「クルル〜、どったの?会議の時間でありますよぅ」
「無断欠席とはいい度胸だな」
…まったく喧しいやつらが来た。クルルはそう思い舌打ちしながら、手のひらで追いやるようにして二人を睨む。
「気分じゃねーからパスで。どうせ実りのねぇ隊長の雑談で終わりだろ」
「ムキーッ!ちょっとナニヨ!我輩の話が無駄だって言うのかよっ!」
「だいたい得なんかしないだろォ」
「ケロロの話がくだらんのは最もだな」
「エッ、ちょっとギロロまでひどいであります!」
「……ちっ…うるせぇんだよギャーギャーギャーギャー…」
ふらふらと頭が浮いているような、それでいて二人の声が頭に響いてガンガンとした。崩れてしまいそうなのを必死で踏ん張り、二人に背を向ける。
いっそ素直に風邪であると言えば良かったが、完全にタイミングを逃した。それに言ったら言ったでまた小言がついてきそうで黙ることにする。誰のとは言わないが。今の自分にはそれを聞いてられる余裕などない。
現に今、後ろで喧しく騒いでいるのも鬱陶しい。
「…あーもう!我輩そろそろトイレ掃除しないと!次はちゃんと来るでありますよ!」
「仕方ねえなァ〜」
掛けられたケロロの声にヒラヒラと手を振って、出ていく音も確認する。やっと静かになったか、とクルルが押し入れに向かうよりも先に。
「クルル」
「…まだ居たの」
腕を掴まれたかと思えば、くるりと振り向かせられた。
目が合う。ドキッと胸が痛くなって、すっと反らした。
「隊長と一緒に出ていけっての。お話は終わり」
「大丈夫か」
「あーはいはい大丈夫…って、なにが」
ついつい流してしまいそうになったが、おかしな問いかけであると気付いて顔を上げた。
ギロロは問いかけた割りに心配そうな素振りもせず、淡々と返す。
「体調、悪いんだろう」
「…………なんで?」
「見ていりゃ分かる。…昨日から様子がおかしかったからな。熱は?変なウイルスじゃないだろうな?」
…見抜かれてやんの。
何で気付くかな、うまく隠したつもりだったのに。昨日、風邪なんて自覚すら無かったのに何故この男は目敏く気付くのか、クルルは不思議で仕方ない。
今更隠し通したり誤魔化すのも難しいと判断し、小言覚悟でクルルは溜め息をつきながら「ただの風邪」と白状した。ついでに、立っているのも辛くなったので座り込む。
それを見たギロロが、クルルをサッと体を抱き上げた。突然の事に驚いて、ギロロの首に腕を巻き付ける。
「な、に」
「布団で寝ろ。…何か食べたか?薬は?」
「…まだ」
「食えそうか?」
「まあ…」
「そうか。食いたいものはあるか?」
「……いや、ていうか、何で?」
寝床に寝かせられながらクルルは問う。
甲斐甲斐しく世話を焼くなんてどんな風の吹き回しだ。そもそも頼んでなんかいない。
そう思いながら睨めば、ギロロはきょとんとして、それからクルルの額に触れた。
「熱いな」
「……」
「素直に世話になっておけ」
「結構です」
「クルル」
強めの口調で、クルルを咎める。今度こそ心配を顔に浮かべるギロロに、クルルは顔をしかめた。まだ何か言いたげなクルルにギロロは小さな溜め息をついて、その頭を撫でる。ゆるりとその手はクルルによって弾かれてしまったのだが、ギロロは苦笑を浮かべるだけ。
「…粥でも食うか?」
「……いらない」
「卵粥にしてやる。ちょっと待ってろ」
「………」
何で構うんだ。心の中で毒づいたクルルの心情を察したのか、ギロロは再び苦笑してクルルの頬を撫でる。
今度は、弾かれることはなかった。
「…嫌か?迷惑と言うならやめるが」
「………別に」
「そうか」
その返答に、ギロロは満足げに笑みを浮かべる。その返答だけで充分だ。素直じゃない彼の不器用な甘え方。自分も不器用だが、だからこそ似た者同士分かりやすい。
――それからのギロロの行った看病はお世辞にも完璧とは言い難いものだったが、クルルはそれで気分を害すことも追い払うこともなかった。
世話をあれこれ焼く訳でもなく、ギロロは側に居ながら武器を磨いたり、たまにクルルに水分をとらせるべく飲み物を取りに行く。スポーツ飲料が良いかと初めに手渡し、それについては「そういうのは運動しない奴が飲むとあんまよくねぇんだよ」とクルルの苦言こそあったがそれくらいだ。
本来なら作った卵粥にケチをつけられそうなものだが、味覚が鈍くなっているようで特に何も言われなかった。見た目は悪くなかったらしいそれは、実はかなり塩分が高めだったのだが、クルルは気付かなかったらしい。
クルルが食べきれなかった分を口にしたギロロが少々顔をしかめて謝罪したが、クルルは不思議そうにしているだけだった。
夜になって、クルルが咳き込むとギロロが背をさすった。テントに戻る気はさらさらないと言わんばかりのギロロは当然のようにクルルの寝床近くに寝袋を持って来ていたのだが、クルルの寝床――押入れの中でクルルの容態を見ていたのであまり寝袋の活用は期待できない。
薬が直ぐに効かないのは、クルル自身薬に対する耐性が他人より強いらしい。らしい、というのは、クルル自身が割りと薬を実験で投与していた過去があり抗体が出来てしまったため、並大抵の薬は効き目が期待できないと、薬を飲む前にクルルが言っていたのだ。
一体過去に何をしているんだ、と問い質したくなったのだがギロロはただ「そうか」としか口に出来なかった。ずかずかとクルルの過去に踏み入れられるほど、自分は信用を得ていない。一応、恋仲であると自負しているがそれとこれとはまた別問題だ。クルルはあまり踏み込まれるのを好まない――それがギロロにとっては歯痒いのだが、これは急ぐ問題ではない。ゆっくりとクルルから歩み寄るのを待つことにしたのだ。自分に依存させてしまおうという目論見さえ立てるくらいには、クルルに惚れている。
つまりまあ、今クルルが珍しく弱っているという貴重な事態を、不謹慎にも喜んでいるのだ。
心配しているのは勿論本当だが、これで一気に距離を縮められるのではと邪な気持ちがギロロにはある。
普段からさりげなくクルルを見つめていたギロロだ、些細な変化くらい見逃すはずもない。前日喉に異変を感じていたクルルに、気が付かないはずがないのだ。
クルルの背中をさすったり、クルルが鼻をかんだりしたあとのティッシュを捨てたり。水もしっかり用意した。ティッシュの箱もたくさんある。熱を冷ますために保冷剤をクルルの脇や首筋に当てたり、とにかくギロロはクルルが寝付くまでずっとそばにいた。
熱っぽい吐息、潤む目と、紅潮する頬。ギロロはクルルを見つめることが難しく思えて、浮かぶ煩悩を必死に抑え込んで早く寝てくれと祈りながら堪え忍んでいるのをクルルは知らない。
ラボに居ると日の入りも分からないから逐一時計を気にもした。クルルがやっと寝付いたのが、夜中の四時過ぎだった。
寝付いたクルルの熱をそれとなく触って確かめたが、やはり直ぐに下がりはしないのか熱いままで、ギロロは少し溜め息をついた。
寝ずの番くらいは慣れたものだから苦ではないが、やはり苦しそうにするクルルを見ているのはさすがに辛い。弱さにつけこむ気が無くなったわけではないが、煩悩よりもだんだんと心配の方が勝る。父性本能とでもいうのか、普段から甘えないクルルを甘やかしたい気持ちになる。父ではないが、クルルとはそれくらい歳が離れているのだから不思議なことでもない。勿論、愛欲の方がずっと勝るのだが。
温くなった保冷剤を取り替えて、冷えピタも貼り変えた。
紅潮したままの頬を優しく撫でる。空調は寒くない程度に設定しているようだったが、クルルの場合かなり寒がりで冷え性であるからどうだろう。ギロロにとっては快適だが、逆に言えばクルルには寒いかもしれない。ギロロに合わせて少し涼しくしているのかもしれないと考えて、しかしクルルのラボの空調の設定の仕方など分からないギロロはただクルルが寒くないようにとタオルケットを一枚テントから持ち出してクルルにかけた。