□百万回ダメでも
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 感情と言うのはひどく厄介だ。


 無ければ無いで生きづらいが、あればあるだけ生きづらい。

 よく私情を挟むなと耳にすることがあった。あいつが憎いから助けなかった、守りたい人がいたから規律を破った、本部では度々、そういう報告も珍しくない。

 聞く度に馬鹿だな、と笑っていた。誰かのために軍規を破るなんてどうかしている。

 生きるには他人を利用するだけだ、そこに何の感情もない。必要以上に関係を持つから、感情が、私情が邪魔をする。

 軍規を破るなど馬鹿のすることだ―――なんて、思っていたのに。


 いつの間にか目で追う赤色が居た。本部に居るという旧友や兄を訪ねて来ていたのをたまたま見掛けたのが始まり。

 周りにいた誰かが、「あの人がガルル伍長の弟さん…」と言っていたから、つい目を向けたのだ。

 ガルル伍長、世話役としてつけられた哀れなおっさん。それの弟。

 兄であるガルル伍長が優秀であり、異名も持つほどの実力者であることは理解している。

 それの弟、ということは彼もそれなりに面白い人材なのだろうか。

 正直、自分以外にたいした興味もなかったから、改めてその弟を観察してみる。

 ちょっと血の色に近い赤い色。眼孔は鋭い、ちょっと怒った顔立ち。歩き方は模範的な軍人らしい。いかにも真面目そうだ。兄であるガルル伍長に似てなくはない。

 端末で彼の情報を盗み見た。戦績は悪くない。地道にコツコツと、戦果をあげているようだ。そこまで見て、調べただけ無駄だったなと端末をしまう。
 面白そうな感じはない。自分とは真逆。多分、苦手なタイプだ。

 ふと顔を上げて再び彼を見た。


 ――ぱち。


 目が合った。



 瞬間、顔がカッと熱くなって、全身に血が巡った。心臓が一回、大きく跳ねた。


 目を反らそうとしたのに反らせない。赤色が近付いてくる。


「あ、え、うそ、えっ」


 どうしていいか分からないなんて生まれて初めてだ。
 手が震えた。心臓が痛かった。

 ついに目の前に来た彼は、思ったよりも優しい目をしていた。


「…あ、え…と」

「クルル少尉、で間違いはない…ですか?」

「クッ」


 放たれた声にびりびりとした。名前を呼ばれた事に驚いたのか、何なのかは分からない。


 そこからは何故だか緊張してしまいやり取りは曖昧で、ただガルル伍長に用があったらしいことだけは覚えている。

 その日から彼が本部に顔を出す日にはそっと覗き込んでみたり、ガルル伍長のあとに着いていったりもした。彼は自分を見て、優しく笑ってくれたり、話し掛けてくれた。人前に出慣れてない自分は、大した会話も出来なかったけれど。

 彼が昇格を望んでいると知った時は、彼の昇格を推せるよう本部に貢献して少佐まで登り詰めた。
 彼が喜んでくれたら。自分に会ったとき、嬉しそうに報告してくれるかもしれない彼が見たい。思えばこれが初めての『私情』を挟んだ努力だった気がする。

 望む階級までのノルマもそつなくこなした彼は、見事昇格を果たした。

 嬉しそうに報告もしてくれた彼が眩しくて、――いつからか、彼と肩を並べたいと憧れた。それまで名前を呼び捨てていたのを改めて、ギロロ先輩、と呼んだ。先輩は驚いて、それから笑ってくれた。


 いつまでもこのまま、彼とこの距離感で、それで彼が本部に入るまでになった頃には自分も大人になって。

 ――そう、夢も見た。

 けれど、彼は伍長という階級から先には進む気はないらしい。
 任務による出張は増えたから会う頻度は減ったけれど、それでも休みの日に会いに来てくれるから、それでも良かった。…のに。


「…地球…?」

「そのようです。まだ本部で決まったばかりで通達はされていないので極秘となりますが」


 今や世話役も必要としない成人となったある日。

 たまたま本部に来ていたガルル伍長――もとい中尉に会い、話をした時だった。


 ギロロ先輩が、地球侵略に出向くらしい。俺は耳を疑った。


「……地球、って、何であんな未発達の弱輩星…遠いダロ」

「地球は狙う星も多いですからね、長期戦になりそうです」

「………どんくらい」

「…まあ、今の任務で最長で3ヶ月ですか。だとすると…一年はかかるんじゃないでしょうか。準備期間もありますからね」

「………取り消せねーの」

「さすがにそれはいけませんよ少佐」

「…わかってるって…」


 でも、遠い。全然会えない。

 今までだって会えなくてつまらないのに。


「…せっかく大人になったのにちっとも並べやしねェ」


 追い付こうと必死な俺。それを知らない先輩。


「そういえば最近、ギロロと喧嘩したそうですな」

「ククッ、今までギロロ先輩のためにって裏で操作してたのバレちった」

「ああ、それで。ギロロはそういう事は好みませんからな」

「中尉殿はそうでもないのになァ」

「かわいい弟のためでしたら、裏工作くらいは目を瞑っていただきたい」

「それが原因じゃねーの、ギロロ先輩が反抗的なのは」

「それはどうでしょう。うまく隠していますので」

「あ?バレたのは俺のツメが甘いっての?」

「さあ、どうでしょうね」


 では私はこれで、と立ち退いたガルル中尉をジト目で追いながら、小さな溜め息。


 これ以上の期間会えなくなるのは嫌だ。ギロロ先輩とはもう肩を並べて戦えるはずなのに、いつまで待てばいい。
 ……もう待つのも限界だ。



 ――感情で動いたのは、これが二回目だった。



 気付いたら降格の処分を下された。本部からの一時的撤退。
 それでも優秀な脳は手放す気はないらしく、実質のない『曹長』として、上の連中が使いやすい立場にしてきた。

 でも、それでも良かった。上にいるより自由で、窮屈なこともない。
 ギロロ先輩に自分から会いに行ける。

 降格処分を受けたときに、ガルル中尉には言わなかった。どうせそのうち噂になって耳に入るだろう。説教はそれからでいいはずだ。

 本部から隊員宿舎に足を踏み入れる。ギロロ先輩の宿舎は頭にあるが歩き探すのは初めてだ。

 確かこの角を曲がって、奥の方に行けば――ビンゴだ。

 任務は今朝終わったと連絡が来ているのを知っているから、今頃帰路についているか早くて部屋に戻っているかのどちらかだろう。

 一応ノックをしたが返事はないので、おそらく前者のようだ。

 オートロックを解除して部屋に入る。
 見たことのない先輩の部屋。


「わ…ぁ…」


 思わず声が出た。胸が高鳴った。何故だろう。

 質素な部屋、トラップ一つもないこの部屋は主の帰りをしんと待っていた。よく見ると埃もたまっていたし、あちこち散らかっている。物がない部屋のわりにはあまり綺麗ではなかった。

 嗅ぎ慣れないにおいに不快感はない。

 部屋にあるベッドに腰掛けてみたら、ますます緊張した。


「…先輩」


 無意識に声に出した。ぶるりと体が震えて、思わず横になる。まくらから、先輩のにおいがした。


「…うそ」


 むず、と下半身が疼く。高鳴りも止まらない。なんで。どうしてしまったんだ自分は。

 混乱で泣きたくなった。

 分からない。分からない。なんで。なんで。


 ピッ、というオートロックが解除される音がした。







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