□藪医者と浪人
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 ひらりと翻った羽織から香るのは、やさしい薬草のにおい。

 廊下をまるまり気味の背中が渡っていくのが見えて、ギロロは笠を編む手を止めた。


「クルル、終わったのか」
「ク。今戻ったぜェ〜。手洗ったらお茶淹れるからあんたも休憩しな」
「ああ」


 振り返ったクルルの頬には、薬を煎じるときに跳ねたのだろう緑が付着していた。微笑ましく思うギロロが薄く笑ったことに気付いたのか、首を傾げたクルルに「ついてるぞ」と教える。
 気恥ずかしさからなのか、少し顔をしかめてそそくさと洗面所へとクルルは消えるのを見て、ギロロは小さく声に出して笑った。
 愛しいな、と、心中で思うが口には出さない。

 やがて戻ってきたクルルの手にはしっかりお茶とお茶請けが盆にのせられていて、ギロロはそのお茶請けが好物である芋羊羹なのを確認すると、満足げにお茶を口に含んだ。

 苦みもなく、甘さが程よい香りのいいお茶だ。ギロロにはお茶の良し悪しなどわからないが、クルルが煎れるお茶は好きだった。

 クルルは向かい合わせに座るとお茶を一口含み、ようやく、といった様子で大きなため息をつく。


「セクハラされた」
「ぶっ!……はあ?」
「薬を外に乾燥させてたらケツ撫でられた。女だと思ったんだと。馬鹿だよなァ。声出したらびっくりして腰抜かしてたけど」
「いや…お前大丈夫なのか」
「怒ってるわ」
「いやそうじゃなくて…」


 怖く無かったのか。

 男に対してする質問では無いような気もしたが、ギロロはついクルルを見つめて問う。

 クルルは小さく溜息をついてから、湯飲みを置く。


「……女だったら怖くて声も出せねえんだろうなって、思った」
「……」
「………ちょっとだけ、いいかい?」
「…ああ」


 腕の中、借りるわ。そう言いながらクルルはギロロにもたれるようにして正面から抱き着いた。
 薬草のにおいに混じるクルルの香りは、確かにギロロのような男くささはないし、後ろ姿も服装が中性的なところもあって女性と見間違ってもおかしくないだろう。

 男にセクハラをされるというのはギロロにはない経験だったが、幼馴染であるプルルはよくセクハラ被害に腹を立てていたのを思い出した。
 女性にしか分かりえない問題で自分とは縁がないだろうと思っていただけに、目の前にいるクルルが被害に遭ったとなるともともと厳つい顔が更に強面になる。

 きっと不快感と、恐怖心があったに違いない。クルルが甘えてくるということはそういうことだ。
 優しく抱きしめ返すと、クルルが更に頭を押し付けてくる。
 縮こまったクルルにかけてやるべき言葉が何かはギロロにはわからないが、代わりに頭を撫でたり背中をあやすようにやさしく撫でた。

 クルルにセクハラをしたという男は女が相手じゃなくてさぞ驚いたことだろう。がっかりしたことだろう。しかしそれが、なんだというのか。
 許されない行為をしたのは相手の男だ。クルルが女であれ男であれその男は罰せられるべきなのだ。

 俺ならばそんなヤツ、殴ってやったのに。


「……すまん」
「ク?…なにが」
「俺がこんな足でなければ、お前を守ることも出来たんだが」


 ギロロは悲痛な面持ちで、自らの左脚を見た。
 数週間前に戦で片脚を負傷したギロロは、もう戦に復帰するのは困難であるという診断をされている。
 歩けるようになるまであとどのくらいか。

 悔しくてたまらない。何かがあったとき、クルルを守ってやれない脚。ギロロはクルルを強く抱き締め、再び小さく謝罪した。
 責め立てるように、じくじくと傷が痛みを訴える。

 そんな時、ばか、と、不意に聞こえたクルルの声は、ひどく優しいものだった。


「なにを気にしてんだい。あんたに守られるほど俺は弱くねェよ。さっきのだって、ちょっとびっくりしただけだ」
「…けれどお前に何かあったら、俺は死んでも死にきれん。この脚でなければ…」
「……クク。なぁ、ちょいと不謹慎な話をするが……俺はあんたが怪我をしてくれてよかったって思ってるよ」
「…どういうことだ?」
「だって…」


 こうして毎日一緒に暮らして、抱き締めてくれるから。

 戦場を駆け巡っていた頃には考えられないくらい、穏やかで心地良い時間。
 本当ならあんたはこんな長閑な暮らしを守る方が性に合っているのだろうけど、俺としては安全な場所で一緒に暮らしてくれる方が有難いよ。

 クルルは小さく本音を漏らす。布越しに伝わる体温が気持ちいい。


「……お前な」
「怒った?それとも呆れたかい?」
「…どっちでもない。……俺がいなくて寂しかったと聞こえる」
「クク、解釈はどうぞお好きに」
「……俺としてはさっさと足を治して歩き回れるようになりたいところなんだが」
「そこは回復を待つしかねえわな」
「…歩けるようにならないと、お前を探しに行けない」
「……クククッ、それはまるで俺がいない時間が寂しいみたいに聞こえますけど?」
「好きに捉えろ」
「素直じゃねえなあ」
「どっちがだ、阿呆」


 どっちもですかね。

 クルクル笑いながら、クルルはギロロにもたれかかった。




  Fin

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