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□ねっ、ちゅうしよう
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季節は丁度、梅雨が明けたばかりの初夏。
じわじわと気温は上昇し、昼には猛暑となって日光が容赦なく地上を照らす。
今年も例年と比べて暑くなるだとか、水分補給はこまめにとろうだとか、ようやっと慣れてきた様子の新人キャスターの注意喚起がテレビに映されているのを観ながら、日向家の長女は朝の支度をしていた。
その弟は本日プール開きがあることを憂いていて、突然台風が来ますようにとか無茶な祈りを掲げている。
もちろん今日の天気予報は快晴。雲一つない青空で、絶好のプール日和だ。
この世はなんて残酷なんだと嘆く弟はしっかり用意された水着を持ち、重たい空気を背負いながら玄関を出る。
対してご機嫌そうな姉は一度庭に顔を出して、庭に勝手に住み着いた赤い侵略者へと声をかけた。
「おはよう、ギロロ。今日も暑くなるらしいから、熱中症とか気をつけなさいよ」
「ああ」
「じゃあ、留守番よろしくね!」
「道中には気をつけろよ」
元気に登校していく彼女の制服は、先月辺りから夏服へと変わり涼しげだ。
ひらりと翻るスカートに少しドキリとしながら、ギロロは目下に広げた愛用の銃に目を移す。
なかなか出番の少ないその銃には、汚れがない。ただひたすらに整備をしては、その時が来るのを待っている。
使わない方が平和でいい、とは隊長の言葉でもあり居候先の言葉でもあるのだが、戦場での高揚感を身近にしながら生きてきたギロロにとっては、どうにもやるせない。
平和ボケして、いざという時使い道にならなくなっては困るのだ。
現にギロロは居候先の少女に歯が立たず、我に返っては侵略が出来なかったことを嘆き、毎夜情けない思いを抱えている。
いい加減侵略するか撤退するかと上からせっつかれているのは分かっているが、どうにもならない。
居心地がいい地球に慣れ、適応し始めてしまった。
敵対種族なのに、絆を結んでしまった。
侵略をするのは仕事だからだが、個人の心情を尊重すると侵略せずこのままでいたいと思ってしまう隊員がほとんどだ。
ギロロは侵略をして早々に撤退をしたい派のはずだった。
気が付けば他の敵対種族から地球を守っていたり、潜伏先の住人と交流を深めてしまったが故に、だいぶ情がわいてしまって居る。
侵略者として情けない。頭ではそう思っていても、心が結局負けてしまうのだ。
ただ、一人だけこの悪循環にいい意味で染まらないのがいた。
それは後輩でもあり、上官でもあるクルルで、彼は不真面目な態度を取りながらただ一人侵略に向ける姿勢は当初から一切崩してはいない。
仲のいい地球人の少年がいるのだが、それはビジネスライクのような間柄であり、互いに深く関与しないことを暗黙の了解としているようだった。
地球を侵略する。それにおいて一切の曇りがない、迷いを見せない堂々とした意思。
ギロロにはそれが、なぜだかとても悔しくて、羨ましくて、それでいて、ただ純粋に尊敬した。
クルルを見ていると、地球に来る前に侵略するのだと息巻いていた頃の自分を思い出して恥ずかしくなる。
今の自分は口先ばかりで、そのくせ行動に起こしても大した成果を見せることもない。
けれどクルルはいつも侵略することを考えて発明をした。
失敗に終わるのはクルルのこだわりをうまく理解でき無かったが故の暴発であったり、使い手が私欲に負けるのが主な原因。
何度も没になっていくクルルの発明品を見て、ギロロはひどく胸が痛かった。
もし、これをうまく活用できさえすれば侵略が完遂するのではないのか。
クルルの心や考えまでは読めないギロロでも、積み重なっていく失敗には必ずクルルの発明品があり、それを無造作に積まれていく様はクルルにとっていいものではないだろう。
本人は好きなことをしているというスタンスでいるようだが、果たしてその失敗として葬られた発明品に対してどう思っているのだろうか。
ギロロは発明家でも参謀でもなければ、クルルのような考え方をしているわけでもない。
けれど、思うのだ。もしこの積まれた作品が自分の手掛けたものであったなら。
喪失感、怒り、焦燥感。
いろいろな感情が湧きあがるが、一番単純に思い浮かぶものは、ただ「かなしい」という感情。
そんな思いを、見えないところでクルルは抱えているかもしれない。
ギロロがクルルの発明品に対して柔軟になってきたのは、そういう考えが脳裏に浮かんですぐだった。
残念なことにギロロは素直で可愛げのある性格ではないため、クルルの発明品に対して一度は噛みつくものの、結局はクルルの作戦に肯定的で作戦に参加する。
「失敗しても次考えればいいや」なんて気持ちでやれば、それはもちろん失敗する。
今日こそ、この作戦こそ。クルルから発案していく作戦は、いつだってまっすぐで、本気だ。
そもそも、参謀様は当初から変わらず地球侵略のために動いている。
隊長であるケロロがクルルの発明品をゴミとして出したときは、ほんとうに、ほんとうに頭にきた。
ああ、おまえは、何もわかってないのか、と憤りもした。
俺たちの武器。大事な兵器。
クルルの思いを踏みにじられたような気がして、ギロロはその日、今までより一番ひどくケロロを叱った。
そんなことがあってからか、急にクルルとのやり取りが柔軟になったような気がした。
ギロロの方での心境の変化が一番大きいかもしれないが、クルル自身もあまりギロロに対してふざけることが少なくなったのもあるだろう。
クルルは何かとギロロに声をかけたり相談することも増えていったし、ギロロ自身もクルルと交わす会話が増えたことをほんの少し自覚しながら距離を詰めた。
仕事の話も、雑談も、昔とは比べ物にならないほどに交わしては、口先で喧嘩を少ししてみたり(クルルには連戦連敗である)、時折夜に酒を煽るクルルにただ付き合うこともあった。
仲が良好になった。
犬猿の仲だと称されていた頃が懐かしいなとしみじみ思うほどには、信頼もし始めた。
いい関係だ。後輩と先輩、上司と部下。
ギロロはクルルとの関係が少しずつ緩和されていくことに、嬉しいと感じていた。
相変わらず何を考えているのか読めないが、このまま良好に関係が続けられればいいと、そう思っていた。
なので、気付くのが遅かったと思う頃には、クルルからはすっかり仕事仲間としての信頼を抱かれていた後。
今まで目で追っていた夏色が、気が付いたら黄色に変わっていた。
クルルを目の前にすれば気分が高揚し、声を聴いただけで全神経がそちらに向かってしまう。
気付いた時には手遅れだった。感情の処理が追いつかず、それでも先輩としてクルルの前に立たなければならなくて、ギロロは心が苦しくて仕方が無かった。
二人きりという空間が天国でもあり地獄でもあり、かと思えば自分以外の誰かと仲良くしているのを見るとほんの少しイライラした。
俺があいつに?そんなまさか、どうしてこうなった!
ギロロはしばらく混乱したが、しばらくしてようやく気持ちに整理がついたあとはひどくおとなしいものだった。
開き直ったと言ってもいい。
未だ少し夏美を見ると胸がざわつくが、クルルを前にした時と比べればそよ風程度のものだ。
そういう目で見ていた対象からそんなにすぐばっさり気を無くすのは、男の脳的には難しい。
だって男だから、女性は本能的に好きだしそういう目で見るだろう。ギロロは夏美相手にも言葉にはしないが心の中では開き直った。
となれば黄色。おまえだ。クルル。
ぼんやりとした思考の中で、不意に現れてくる黄色。
毎日黄色が脳内にちらついてしまうのは、無意識に武器を磨く布を黄色に変えてしまったからだろうか。
それともカレーを頻繁に食べるようになってしまったからだろうか。
触れてみたい、と男のかなしい本能の中で思った感情がいつ本当に行動に出てしまうのかが怖くて、それとなく会う機会を減らしてみようと思ったのだが、結局なんやかんやと理由をつけては普通に会いに行ってしまう。
意志が強ければ今頃侵略だって達成している。今は出来ていないから仕方ない。
さて、この太陽が容赦なく照りつける炎天下の中、ギロロはすっかりクルルのことに思考回路を回してしまい、長時間外で滝のような汗を流しながら思考にふけっていた。
水分補給を、と立ち上がった瞬間。
ぐらり、と視界が横転し、「あ、まずい」と戻りかけた思考の中で、ギロロは何もできず地面に伏した。