□だって前から欲しかった
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 クルルの好みは、まるで逆であった。
 そもそも恋愛に興味はないが性欲対照的に女性が好きな方ではあるし、真っ直ぐしてキラキラしたものは苦手で汗臭かったり男臭いのも苦手だ。
 年下か年上かと言われると迷うところではあるが年下派、更に言えば母性溢れる女性や人妻であれば興奮する。

 まあつまり、クルルの好みは健全な方でありちょっとマニアックなところはあれど、世間一般的なものには違いなかった。

 ───それなのに、だ。

 そんなクルルが一途に想いを寄せる相手が、なんと好みとは全くかけ離れた年上の、汗臭くて真っ直ぐな男だったのである。
 これにはクルル自身も大きく戸惑ったし、最初はその事実を受け入れることもかなり苦労した。
 だってまさか、犬猿の仲と言われる男に惹かれるだなんて。

 いつ、どこで、どのタイミングで、なにがきっかけで、原因はなんだったろうか?
 クルルは必死に記録も記憶も片っ端から調べて、自分の気持ちが本当かどうか確かめた。
 どうか気のせいであれと、まがい物であれと祈りながら必死にソースを辿る。

 結果として原因は分からなかったけれど、調べれば調べるほどその時の自分が気付いていなかったその人の優しさだとか男気だとかを見つけてしまい、調べる前よりもっと好きになってしまっていた。
 嘘だと言ってくれ、なんでこんな難攻不落の相手に恋い焦がれなきゃならねえの。

 赤色が視界をちらつくと目で追ってしまう。ドクロマークにも気を取られる。声を聴いたらその声ばかりを拾ってしまう。
 ついぞ業務にも支障が出てきはじめたので、とうとうキレそうだった。
 逆ギレもいいところだが、好かれるようなことをするのが悪いだろと理不尽な怒りを抱いていないと、もはや気が狂いそうだったので仕方がない。

 とにかく、クルルはいい加減この気持ちを何とかしたかった。
 向き合うことはできた、飲み込むことはできた。だからと言ってこの胸の内を隠して接していくのは、ストレスでたまらない。
 こっちが好きでいてやってるのにあっちが何とも思ってないのは癪に障る。

 そもそも気持ちを知らないってズルくないか。こっちは夜も眠れない日があるっていうのに!
 
 なので気持ちを知ってもらった上で同じくらい好きになってもらうか、もしくはこの気持ちをぶっ壊して忘れさせてもらうしかない。

 クルルの決意は固かった。
 珍しくどすどすと足音を立てて歩くものだから、すれ違った後輩は「ひっ!」と短い悲鳴を上げて道を譲る。

 しかし目的の場所であるテントの前につくと、先ほどまでに抱いていた苛立ちを掻き消す勢いで胸が高鳴って緊張が押し寄せた。

 急激に回れ右をしたくなるクルル。そういえば徹夜明けだった、今すごく眠い、あれ、今何時だっけ。思考がまとまらずぐちゃぐちゃしていく。

 足を一歩、後ずさったタイミング。
 気配に気が付いたのか、はたまた偶然か、テントから顔を出す赤はクルルの顔を捉えると、「どうした」と声をかけてきた。

 もうクルルの心はパニックになっている。声をかけられてうれしいだとか、今日もかっこいいなとか、そういう感想もぐるぐると駆け巡り、クルルの顔を一気に熱くさせた。

「おい、クルル?」
「………なんでもね」

 心はパニックだったが、頭は何とか冷静だった。
 文句を言うのを諦めるか、と踵を返そうとしたところで、クルルの腕が赤い腕に掴まれる。

「…!?」
「おまえどうした、ひどい隈だぞ」

 誰のせいだと思ってんだ!と叫びたくなったが、それよりも腕を掴まれたことで先ほどより心拍数が急上昇している。
 顔もじわじわ熱くなって、得意のポーカーフェイスもぐずぐずだ。

 混乱と緊張がピークに達したクルルは寝不足も相まって、ぐらりと倒れるようにしゃがみこむ。
 もちろん焦ったギロロがそれを支えようとして密着するから、クルルはついに体を硬直させてしまった。
 逃げられない。何を言うべきか、うまい言葉を探したがヒットしない。

「おい、大丈夫か?」
「……く」

 離れてほしいとも大丈夫だとも言いたいのに言葉にならず、ぐったりとして動けない。
 それを見たギロロがひょいとクルルを俵のように持ち上げて、おもむろにテントへと入っていった。

 雑に敷かれたマットに寝転がされたクルルは、思いのほか優しくタオルケットをかけてきたギロロを凝視する。

「寝不足だろう。寝ろ」
「…ク…」

 いや、無理だから、寝られねえから。ある意味で拷問だから!
 クルルは心臓がバクバクして、身体は眠いのに頭が冴えて寝られなくて、いよいよ吐き気がしてきた。
 もう自力で寝るのは難しい。気絶した方が早いような気がして、クルルはやっとの思いで「なあ」とギロロに声をかけた。

「俺のこと殴って気絶させて」
「何言ってるんだ貴様」

 当然変な目を向けられたが、クルルは諦めない。ギロロが離れる前にその腕を引いて、もう一度「なあ」と発した。

「寝れねえんだよ、頼む」
「寝れないって…なんだ?どうした」
「…いろいろあるんだよ」
「……」

 クルルの顔色は、ひどい。
 ギロロはそれらを観察しながら、どうするのがいいのかと考えた。
 何故だか頬が赤いのに、触れてくる指先は冷えている。
 先ほど抱えたときの体温も低かったので、熱があるわけではない。
 眠れないということは精神的な何かだろう。

「何か悩みでもあるのか」

 聞いたところでクルルが素直に打ち明けるとも思えないが、ギロロはそう問いかけた。
 案の定クルルはひどく嫌そうな顔をしてギロロを見る。
 それが何となく歯がゆいな、と、ギロロは思った。
 こういう時に相談に乗ってやるのが大人であり先輩であるだろう自分なのに、クルルから見れば相談に値する人物とは思われていないのだ。

 このまま待っていても埒が明かなさそうなので、ギロロは少し待っていろと告げてやんわりクルルの手を払う。

 クルルはその背を見ながら、払いのけられる時に握られた手の感触にじわじわとまた顔を赤くした。
 弱っているときの優しさがだいぶ沁みる。
 身じろげばギロロのにおいがして、そういえばここは先輩のテントなんだったと改めて思っては再び胸が高鳴った。
 枕もマットもタオルケットも、すべてギロロのもの。
 体調は全くよくないが、心は満たされていた。
 このまま寝られたならどんな夢が見られるのだろうかと考えて、幸せな気分になる。
 夢の中では恋人のような関係になれるだろうか。

 何でこんなに好きなのに、あの人は俺のものじゃないんだろうなあ。

 チク、と胸が痛んでじわじわ涙が出てきたが、拭う前に戻ってきたギロロとばっちり目が合ってしまった。

 驚いた顔で固まるギロロ。その手には湯気が立つマグカップが握られていて、そこから仄かにミルクの甘い香りがする。
 ややあってゆっくり歩み寄ってきたギロロは、そのまま近くに干されていたタオルを掴み、マグカップをクルルの傍に置いた。

「これでも使え」
「……」
「落ち着いたら飲むといい。俺は外にいる」
「…あー…」

 顔にタオルを押し当てながら、クルルは呻く。
 ぽんぽんと軽く頭を撫でていく手に、またじわりと涙が浮かんだ。

 うまく言葉にできないかもしれないが、これはもう言って楽になった方がいいかもしれない。
 こうして優しくされてしまうと嫌いになることは難しいし、忘れるのも無理だ。
 こんな想いをずっとしながら生きていくのはごめんだから、さっさと終わりにしてやろう。

 クルルはそろりと腕を伸ばしてギロロのベルトをぎゅうっと掴んだ。

「せんぱい」
「…なんだ?」
「はなし、聞いてほしーんスけど」

 タオルによってくぐもる声は、少し震えている。
 平静を保つのは得意なはずなのに、もうそんな仮面は粉々になって意味をなさない。

 ギロロはクルルが話す気になってくれたことに少なからず動揺したが、それと同じくらい、否、それ以上になんだか嬉しい気持ちになった。
 どんな悩みで、どんな相談なのか。話すことでなにか解決に向かうならそれにこしたことはないし、手助けが必要ならいくらでも力になろう。
 そう思いながら改めて座り直すギロロだったが、ふいにタオルから顔を上げたクルルと視線が絡み少しだけどきりとした。

 そのクルルの顔が近づいて、ゆっくりと唇が重なる。

 ギロロと違い、クルルの唇はやはり体温が低いのか少しひんやりしていた。
 それでもやわらかくて、もっと触れていたくなる。

「…俺、あんたのこと好きだ」

 囁くように、けれど真っ直ぐ目を見て言ったクルルの声は、やっぱり震えていた。
 驚きのあまり呆然として固まっていたギロロも、やがて状況を理解したのか顔を真っ赤にして「ぉああッ!?」と叫びながらのけ反る。

 全く予想もしていなかった出来事に、ギロロは狼狽え、混乱した。

 それでもベルトを掴むクルルの手がまだ冷たく震えていたので、冗談の類ではないことも、ギロロは理解した。
 ギロロはひとまず落ち着こうと深呼吸を一つ。
 クルルは不安に揺れつつも真っ直ぐ見つめながら、ギロロの言葉を待っていた。

「…それは、その…俺が原因で眠れないという話か?」
「そうなりますかねえ」
「……」
「………別に、」

 好きになれとか言わねえ。そりゃ同じように想われたら嬉しいけど、俺は高望みはしねーんだ。
 言ってスッキリしたかったってのもあるし、むしろあんたのこと諦めれるようなきっつい一言で断ってほしい。

 クルルは震える声で早口にそう言った。
 言いながらぼろぼろと泣くのを、タオルで何度も強く拭くので目元が真っ赤になっている。

 ギロロはクルルの告白にただただ驚いて、黙って見つめたまま動けない。
 かちゃ、と握っていたベルトが鳴った。そのベルトに仕舞い込んだ一枚の写真を、クルルは知っている。

「…ぅ、…ひっ、っく」

 いよいよクルルが過呼吸になり始めたところでようやっと動いたギロロは、その腕でクルルを抱き寄せた。
 腕の中に閉じ込めたクルルがびくりと体を硬直させるのを好都合としたのか、その口を手渡していたタオルで覆う。

 少し荒っぽいが、背中をトントンと落ち着かせるように叩くギロロの手に過呼吸への対処法なのだと察して、クルルは暴れることなくおとなしく従った。
 涙で揺れる視界はあまりによくない。
 腕の中にいるのが嬉しいのに悲しくて、クルルはただ静かに泣く。

 過呼吸が収まってようやく落ち着いたクルルの背中に触れるギロロの手がやさしくて、ひどく胸が痛かった。

「…あんまり優しくすんなよ、勘違いするぜ」
「なにを」
「…俺に気があるんじゃねーかなってなるだろ。虚しい夢見させんなっつの」
「………」

 ギロロはゆっくりクルルの肩を押して目を合わせる。
 その目に曇りは無くまっすぐで、クルルが苦手なもののはずだった。
 見つめ合って数秒。

「お前、俺と死ぬ覚悟はあるか?」
「……は?」
「いずれ言おうと思っていた。地球侵略が終わった後、お前さえよければ俺とまた組まないか」
「へ」
「お前は本部に戻ることになるかもしれんから難しいと思うんだが、俺とのことも考えてほしい」
「ク、…んん?」
「…今回のことは気づけなかったが、それでも俺はお前のことを誰よりも見てきたつもりだ」
「ク、ル…」
「俺と来い、クルル。俺の傍に居てくれないか」

 ぶわっと勢いよく赤みが差すクルルの頬。ギロロは変わらず真剣な顔で返事を待っている。

 クルルは混乱した。俺は何を言われてるんだ?と、いつも回転の速い脳が途端に鈍くなっている。

「…それ、…プロポーズみてえなこと言ってるって自覚有ります…?」
「何言ってるんだ。別にお前と結婚する気はないぞ。ただ俺と死ねと言っている」
「…それは…エエト…俺が好きって言った意味を分かった上で言ってるんだよな…?」
「…ああ」
「でも俺と結婚する気はねえってことは、……遠回しにゴメンナサイってか?」
「俺を好きだと言うからには、俺と死ぬ覚悟があるのか、と確認しているんだが」

 分かりにくい。
 けれど、なるほど、と思った。

 要は生半可な気持ちでいうならお断りだぞ、ということだ。
 ギロロを好きだというのは構わないが、ならその先共に生きていく上でその覚悟が出来ているのか。
 軍人として、戦闘兵として、前線に出ることも多いギロロの後ろを付いてこれるのかと、そう問われているのだ。

 向ける気持ちがあるだけならいい。ただし応えてほしければついて来い。
 なんともわかりやすい返事だろう。

 しかしこれは覚悟があるのかと問いながら、共に生きろと言ってくるということは、まあつまりそういう事なのだろうけれど。

「ク…クク、俺を誰だと思ってんだ」
「……」
「俺があんたを生かしてやるよ。しつけーくらい傍に居て、地べた這いずり回ってでも一緒にいる」

 軍人やってるのに覚悟が無いわけじゃない。死に場所は決めてなかったが、なるほど、悪くないなとクルルは笑う。

「……交渉成立だな」

 に、と笑ったギロロがクルルを抱き込んでマットに沈んだ。
 急な事態に引っ込んだはずの熱がぶり返し顔を真っ赤にしているクルルをよそに、しばらく抱きしめたあとでギロロが顔を上げる。

「お前、そういう顔してるのも悪くないぞ」

 くつくつ笑うギロロのその顔にすら赤くなりながら、クルルは舌打ちをする。

 なんだってこう、あんたはズルい大人なんだ。
 不機嫌な顔をして睨んでやっても動じない。


 悔しいので、お返し、とばかりに軍帽を引いてキスをした。




fin



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