□夫となる人、妻となる人
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 それはなんでもない日である。

 クルルのところで手伝っていたモアが、何気なく結婚雑誌の話を持ち出した。
 聞くところによると、昨今の地球人、主に日本国民は結婚雑誌や付録についてくる婚姻届にほんの少しにオリジナル要素を加え、遊び半分本気半分で名前を書いたりするらしい。

 本気で役所に届け出て婚姻するものも居れば、書くだけで満足したり、或いは自分以外の名前を書いたりすることもあるというので、クルルは「なんだそりゃ」と鼻で笑った。

 紙切れ一枚で結婚だ離婚だというこの国の制度はクルルにとってきわめて理解できなかったが、モアはその紙切れ一枚にだいぶ憧れを抱いたらしい。

 コレが例の婚姻届ですよ、などと言われて手渡されたが、なんのこっちゃと紙を見る。
 夫となる人、妻となる人。ケロン星にはない婚姻制度の紙切れ。この紙切れ一枚で、しあわせにも、不幸にもなるなんて。

 ふざけ半分で、それに記入した。


 夫となる人:ギロロ

 妻となる人:日向 夏美


 あまりにばかばかしくて、その紙は書いてすぐに捨てた。






 あくる日、クルルは耳を疑った。脳がそれを理解することを拒否しているのかと思うくらいに思考回路が仕事しない。
 やっとの思いで、「…わり、聞こえなかったからもっかい」と口を開くと、目の前にいたギロロはこれでもかというくらいのしかめっ面で、しかし顔を赤くしながらこう言った。

「明日、デートに行くぞ」

 この場合のデートとは、さていったいどういう意味だろうか。








 クルルにしては珍しく、目覚ましの鳴る前に目が覚めた。
 あまり寝付けず浅い眠りを繰り返していたため、まったくもって調子はよくないが、それでも胸のうちは期待で膨らんでいる。

 ガラにも無く、デートに浮かれているらしい。この俺が。

 今までそんな誘いひとつも無かった上に、こちらから何か仕掛ければ大げさなくらい真っ赤になってやめろだとか拒絶してきていたのに、そんなギロロからまさかの誘い。
 キスだって今まで満足にしていないし、セックスだって数える程度。
 そのうちのどれもがクルルからの誘発であるので、ギロロからのアクションはこれが初めてだった。

 なので、しかたないのだ。少女のごとくに期待に胸膨らませ、うれしく思うのは仕方が無いことなのだ。

 このデートのオチが訓練だったりクルルの思い描いているようなものでなくても、ギロロから誘ってくれたことが重要なのである。
 期待はするが、どんなオチでも受け入れる体制はできていた。こっそり、ちょっとだけ、気合を入れて身支度をして、ラボを出る。


 待ち合わせにと指定されたギロロのテントの前、――が伺える裏手に行けば、テント前にはすでにギロロが待っていた。

 ギロロは珍しく腕時計をつけていて、それをちらちらと見ながら少し落ち着きが無く見える。

 いかにも、「待ってます。心待ちにしています」といった態度だ。

 その姿を見て、思わず口元がにやけたクルルは、ゆっくりその背後に忍び寄る。

「ひざかっくーん」
「のわっ?!」

 ギロロの膝めがけて、クルルの足がのびる。
 うまくきれいに膝を崩したギロロが、怒りを目に宿しながらクルルを振り返った。

「貴様…ッ」
「ククッ、ごめーん。待った?」

 そうそう怒りなさんな、ちょっとした照れ隠しなのよ。
 そうしたクルルの心を読めるギロロではないが、意外にもその怒りをぐっと沈下させて何事も無く立ち上がる。

「…別に、待ってない。俺も今出てきたところだからな」

 そう言ってそっぽを向くギロロに、クルルはますます口元が緩む。
 漫画によくあるデートでの台詞のやり取りだ、と笑いそうになったところで、ひょっこり顔を出す緑色。

「うそうそ、こいつ30分前くらいから待ってたであります」
「ケロロ!」
「ク。なんだ、隊長も一緒なのかい」

 やあやあと日向家から歩み寄ってくるケロロを目で捉え、とたんにクルルの期待値が下がる。
 ははあなるほど、デートといって誘い出す罠だったのか、それは盲点だった。と妙なところで感心していると、ケロロは「違う違う」とケロケロ笑った。

「我輩はお留守番でありますよぅ」
「クック、どうせ暇なら一緒に行くかい?」

 見つかっているならば、着いて行きたいと駄々をこねられる前に先手を打つが、予想に反して先に反応したのはギロロであった。

「駄目だ!」

 それは驚くほどの、怒声。
 叫んだ本人も、クルルも、ケロロも、目を丸くして停止した。

 ややあって、「いや、その、すまん、だがその、クルルと…」と視線をうろうろと彷徨わせるギロロに、先に反応したのはケロロで。

「ハイハイ、お土産よろしく」
「お、おう」

 二人のやり取りに未だ固まったまま傍観していたクルルだったが、ふとケロロのくりっとした目と目が合う。

「じゃあクルル、ギロロのことよろしくであります」
「……く、了解」

 あれ、ほんとに行かねえの?ていうか何で今、ギロロ先輩怒鳴ったんだ?

 混乱しているクルルをよそに、せっせとワープホールをどこかに繋いだらしいギロロが、行くぞ、とクルルに振り返る。

 ワープホールを覗いた先に見える繋がれた小型の宇宙船は、二人乗り用だ。
 それを見て、また少しどきりと胸が鳴る。

 ほんとうに、ふたりきりらしい。

 なんでもないふりをして「操縦は俺でいいのかい?」と尋ねたが、ギロロは「オートだから気にするな」というので、操縦に集中して緊張をやり過ごすというクルルの案は早々に消え失せた。

 そうして乗り込み、いってらっしゃいと手を振るケロロの姿が見えなくなるのと同時に、ぎこちなく取られた手のひらの熱。

 驚いてギロロを見れば、背けた頬からはっきりと分かるくらいに赤くなっている。
 それにつられて、少しだけ頬が熱くなるのを誤魔化すように、小さく舌打ちをした。






 ギロロが連れてきた先は、どこか殺伐とした戦場でも、訓練に最適な森や山の中でもなく、のんびりとした空気漂う湖であった。

 地球の作りによく似ているが、そこに地球人は居ない。
 敵性宇宙人も居ない、同盟関係にある星の人だけが、思い思いにのんびりとくつろいでいた。

 タブレットで位置情報を検索すると、地球から少し離れた小惑星。
 リゾート地として開拓されたその星は、現在地の湖のほかにも海や山、遊園地やらショッピングモール、映画館など充実したラインナップ。

 ついつい指を滑らせ詳細を確認するのはクルルの癖で、小惑星のPRに目を通しているうちに『仕事の休暇や、デートにぴったり』と書かれた広告が目に入り、そのうちのデートという単語に思考が再び停止した。

 そろりとタブレットから顔を上げて周りを見れば、なるほど確かにカップルも多い。

「…おい、気は済んだか?」
「クッ、」
「そろそろ行くぞ」
「………」

 これは、もしかしてひょっとして、本当にデートというやつだろうか。

 握られていた手は今や離れてしまっているが、試しに、と手を伸ばしてギロロのベルトを掴んでみる。

 赤い顔をさらに赤くして、どこか仏頂面なギロロと目が合った。
 振りほどかれたりもしなければ、小言が飛んでくることも無い。
 代わりに、ギロロのその手でクルルの手が握られた。

 じわじわと熱に侵食されて、顔が赤く染まっていく。
 つい可愛げも無く「男同士で手つなぎとか、さみい」とこぼしてみたが、「俺は熱い」と返答が来て、つい押し黙ってしまった。

 手を引かれるままに向かった先は、湖でよくある二人乗りのボートである。
 あまりにも似合わないチョイスにぎょっとして、それからだんだんおかしくなってきてついついクふっと吹き出したクルルだったが、ギロロはそれに照れ隠しなのか舌打ちひとつだけでやり過ごし、ずかずかボートへと乗り込んだ。

 乗る際に、クルルの手を引いて支えることもやってのけたので、クルルはおかしいやら照れくさいやら、向かい合わせに座るとすぐに俯いてしまう。

 ぎ、ぎ、とギロロが船をゆっくり漕ぎ始める。
 二人の間に下りた沈黙は気まずいものではなく、どこか甘酸っぱい雰囲気だ。
 近年こんな関係になって以来、一切無かったその空気にクルルのほうが先に根を上げて「あのよぉ」と口を開く。

「…な、なんなんスか、急に」
「……なにがだ」
「なに、って、…急にデートとか…あとなんでボートだよ」

 言いながら、横を向いて湖の向こう側へと視線を向けた。
 ちかちかと、湖が太陽光に反射してきらめいている。

 水を打つ音とオールの音が、ぴたりと止んだ。

 さらさらと時折吹く風が頬を撫ぜていき、そうして一瞬、無音になる。

 つい、ギロロのほうを向いてしまった。
 真剣な目がクルルを捕らえる。その瞬間に呼吸が止まって、まるで時間も止まったみたいで、クルルは動けない。

 ぎ、とボートの軋む音がしたのが耳に届き脳が理解するより先に、キスをされていた。
 驚きに目を丸くするクルルから、そっとギロロの顔が遠ざかる。
 ぴく、と固まっていたからだが震えて、おそるおそる、右手を口元に当てた。

「…ク…る…?」
「……はっ、なんだその顔。貴様がいつも俺にすることだろうが」
「……お、う」

 頭が混乱していた。胸が苦しい。顔が熱くて、涙が出そうだ。

 だっていつも、俺からだったじゃん。あんたしてくれたことなかったじゃん。

 うれしくて、びっくりして、ただただ俯くことしか出来ない。

 ぎ、ぎ、と軋む音と、水を掻く音がした。
 再びボートを漕ぎ出したギロロと、クルルの間に漂うのは、クルルが今まで一度も感じたことの無いなんとも言いがたい甘い空気だ。
 不快ではないが、心地よくて、むずむずして、慣れない。

 きれいだな、というギロロの声に、そっすね、と湖を見る。
 そっちじゃないとギロロが笑うので、ついギロロに目をやれば、見たことの無いような顔でクルルを見つめていた。
 その視線だけで、きゅう、と胸が苦しくなる。

 お前のことだ、馬鹿。と、やさしく言われて、クルルは今度こそ顔から火が出るんじゃないかというくらい、真っ赤になった。
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