□夏が来る
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惚れたほうが負けなのだという言葉に、ははあそれは確かになあとクルルは思った。

クルルの目の前で繰り広げられる光景に、その言葉はまさしく当てはまるなと溶けかかるアイスを食べながら見つめる。

きらきらと太陽の光を反射する海。
表面ばかりが熱くて、手を差し込めばひんやりとしている砂浜。

「ギロロ、本当にお願いしてもいいの?」
「かまわん」
「そ。じゃあ荷物番よろしくね!」

楽しげに走り去っていく少女の背を見つめる目に浮かぶのは、溢れんばかりの思慕。

ギロロが夏美に頼まれて、はて、断ったことが今まであっただろうか?というくらい、従順な姿勢。
これでは犬と呼ばれてもおかしくないな、と思わずくくっと喉が鳴ったのを、ギロロの耳が捉えたらしい。

「なんだ」
「いえ」

一途で頑固で、あわよくばという下心満載で接触したかと思えば、突然敵だ味方だという本来の任務を持ち出して私情を断ち切ろうとするギロロを見ているのは、なかなかに面白い。

好きだと言わないのは敵対関係にあるからだろうか。
叶わないと思っているからだろうか。
もとより言うつもりが無いのだろうか。

他人の色恋なんてどうでもいいな、と興味の無いふりをしても気になってしまうのは何故だろう。

日向家の姉弟はそれぞれ友人としてついてきた小雪と桃華と楽しそうに遊んでいて、小隊も各々自由にくつろいでいた。

ここはなんてことの無い普通の海水浴場。

クルルはもともと日に当たるのも海に浸かるのも嫌で、至極当然のようにパラソルの下でパソコンを広げていた。
ギロロは夏美の頼みによって、荷物番をしている。
なので今は微妙な距離感で二人きりなわけだが、ギロロは相変わらず夏美の方ばかりに気を取られていて会話は無い。
仲良くおしゃべりをするような間柄でもなく、ましてや交流を深めたいとも思っていないので、クルルはこの状況が少しだけ居づらく感じていた。

どちらかといえば苦手というか、からかえば大げさに反応してくれるのでそこは面白いなと思うくらいで、とりわけて好感を抱いているわけでもない相手と居るのはあまり好ましくない。
一人で居るほうが気が楽だな、と思ったので、クルルはちらりとギロロに視線を向けた。

「防犯システム作動しててやるから、先輩も行って大丈夫っスけど」

邪魔だからどっかいって、という本音を何重にもオブラートで包み込んだクルルの言葉に、ギロロはクルルに振り返って眉間にしわを寄せる。

「荷物番は俺の任務だ。好きでやっているから気にするな」
「……あ、そう」

まあそうだよなー、好いた女の頼み事ほっぽいてどこかに行くような性格じゃないよなー。
クルルは少しばかりオブラートに包みすぎた言葉を後悔した。
サクッと邪魔だと言った方が効果覿面だったような気がするが、もう遅い。

けれどそれで諦めるクルルでもなかった。
逆転の発想、立場の利用。

「敵性宇宙人の頼みを完遂されるなんて、大した任務っスねェ」
「……なに?」

ぎろ、と睨まれた目には確かに怒りが感じられた。
本当のことじゃねえか、とクルルはまったく動じない。

ギロロという男はとても短気で喧嘩っ早く、逆に言えばクルルのような頭の切れる者からすれば単純明快で扱いやすい性格である。
口で勝てないのは相手もわかっているだろうが、それ故に手を出すのも早い。
理不尽にも殴られたりしないよう細心の注意を払いながら、なんと言って追い払おうかと口を開いたクルルの腕を、いつのまにか距離を詰めていたギロロが強く引いた。

バランスを崩して仰向けに倒れこんだクルルは、影を差すように見下ろしてくるギロロの顔を見て思わず怪訝そうな顔をした。
怒っているけれど、なんとも悔しそうな顔をしている。
取り合えず拳が飛んでくることはなさそうだな、とぼんやり見つめていると、ギロロが小さく舌打ちをしてクルルの腕を放して背を向けた。
まったく意味の分からない行動に、首を傾げながらゆっくり身を起こす。

掴まれた箇所がほんの少し赤く手形がついていて、痛いな、と思った。

「……俺はテコでも動かんからな」
「…えー…」

せっかく用意していた言葉が、波にさらわれたかのようにざあっと消えていく。
追い出すことが不可能なら、自らが移動すればいいのだがそれはなんとなく癪だし、ここ以外で静かに出来る場所もクルルは知らない。
炎天下の中をさ迷い歩くのも億劫なので、仕方ないなとため息をひとつ。

まあギロロも口数は少ないほうであるし、滅多に会話もしないので居ないものとして扱おう。
クルルはそう思うや否や、ヘッドホンでお気に入りの曲を流すことにした。

気に入ってる曲。気分が良くなる曲。
耳に聞こえてくるのはそんな曲ばかりなはずのなのに、なぜかうまく頭に入ってこない。

遅れて、どっと胸がうるさく鳴る。顔に熱が集中して、急に腕がぴりぴりした。
汗が止まらない。頭が痛い。吐きそう。吐く、かも。

まさか熱中症か、と慌てて水を飲もうと飲みかけのペットボトルへ手を伸ばす。

「ほら見ろ」

ギロロが何か呆れたように言ったのを拾ったが、クルルは音楽に阻まれたそれをうまく拾うことが出来ずギロロを見上げる。
伸ばした手はペットボトルを掴んでいるのに、蓋を開ける気力が無い。

少しだけ無理やり、けれど優しくペットボトルがギロロに奪われ、蓋が開けられていくのを見る。

「飲め」

蓋を開けられたペットボトルを差し出され、言われずとも、と思いながらすぐにそれを飲む。
その間に冷却マットを取り出したギロロが、それを敷いてクルルへ寝るよう顎で指した。
口の端から飲み零した水をぬぐい、指示されたように寝転ぼうとするが体に力が入らない。

倒れこむようにしたクルルの体をうまく支えてしっかりと横たわらせたギロロは、冷えたタオルをクルルの額に宛がった。

冷却マットがひんやりと体の熱を冷ましていく。タオルがきもちいい。
一連の流れで介護されたのだと気付いた頃には、気持ち悪さも頭痛も遠のいていた。

悔しげに見上げても、ギロロは海水浴場で配られていたうちわを使ってクルルのことを扇ぎながらどこか遠くを見ている。

やっと口を利けるくらいに回復してきたクルルは、ゆっくり手を伸ばしてギロロの手からうちわを奪った。
その行動に、ギロロもようやくクルルに視線を戻す。

「平気か」

もしかして、コレが分かっていたからテコでも動かないとか何とか言ったのだろうか。
最初から対策としていろいろ言ってくれていたら倒れることも無かったのに、とは思ったが、すぐに考えをやめた。

「……よくわかりましたね、俺が熱中症になるって」
「長年戦場に居るとな、そういうのも分かってくる」
「はあ、そういうもんかね」

戦士の勘とでも言うんだろうか。
本部に居た頃のほうが多く、前線に出た経験も少ないクルルにとっては恐らくあまり分からない感覚。

ギロロは階級こそ下ではあるが、クルルよりも詳しいことが多い。経験の差が大きい。

作戦を立てるのは自分の方が適任だと思うし、何より猪突猛進のギロロは頭を使ったことは全く向かないので、隊長になることはこれからも無いだろうが、けれどやっぱりいざという時に、隊員を率いることが出来るのはギロロなのだろうと思う。

ぐるぐると思考が頭を巡った。
余計なことまで考えて黙りこくったクルルに、ギロロが心配そうに覗き込む。

「大丈夫か」
「……くー…」
「少し寝ていろ。目を閉じているだけでもだいぶ違う」
「………」
「ほら、うちわを貸せ」

弱く握りこまれたうちわは難なくするりと奪われた。
ふたたび送られる風は、海のにおいがする。

「……くく、心配されて至れり尽くせりなの、初めてだなぁ」
「…そうだな」

今の今まで、正直敬う意味で先輩と思って呼んでいたわけではなかったクルルだったが、この日ばかりは少しの敬意を払って呼んでみてもいいかな、と思う。
大人になってもこうして甘えられる大人が居るのはこんなにいいものなのか。

海の方に走っていった彼らが、休憩に戻ってくるまでもう少し。

僅かな時間の許す限りは、このまま二人の時間が続けばいいのになあ、と、クルルはこっそり思っては口元に笑みを浮かべて、ゆっくり目を閉じた。







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恋を知らないクルルの、恋が始まるほんのちょっと前のきっかけの話。

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