□風邪にご用心
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 クルルが目を覚ましたのは、朝の7時過ぎだった。
 ぼんやりしながら自分を認識するクルルに苦笑しながら、ギロロは「おはよう」と声をかけた。思えば、一夜を共にして朝の挨拶をするのは初めてじゃないか、とギロロは何だかくすぐったい気持ちになる。いかがわしいことは何もないが、朝の挨拶をしたことで何と無く気持ちが高揚した。

 そんなギロロに気付くことなく、クルルは喉を鳴らして小さく「はよ」と返した。


「気分はどうだ。…ああ、まだ少し熱っぽいな。食欲はあるか」

「……せんぱい」

「…どうした?」

「…あんたにも、うつっちまうから」


 クルルなりの、ギロロへの気遣い。ギロロまで風邪を引いたら大変だと、自分のせいでギロロが倒れたら嫌なのだと、そう込めた言葉を、ギロロはキョトンとして受け止める。

 クルルが自分を心配したのだと理解してから直ぐに、ギロロは吹き出した。


「…なんで笑うんだよ…」

「いや、なんだ、すまん。お前にそんなことを言われると思わなくてな」

「……」

「気にするな、俺はそんなにヤワじゃない。移せるもんなら移してみろ」

「…あんたが倒れたって、看病してやんねーよ…」

「ああ、来なくていい。またお前が倒れたら嫌だからな。ケロロにでも移して少し大人しくさせるから問題ない」

「…っクク、隊長かわいそ」

「思っても無いことを」


 頬に手をあてがう。紅潮したままの頬から熱が伝わる。ギロロは再び寝るように促したが、クルルが空腹を訴えたので直ぐ様台所に向かった。クルルのラボにも簡易的なキッチンが無いこともないが、勝手に触るのは危険であることくらいギロロも分かる。クルルのラボは常にトラップが仕掛けられているのだ。うっかり発動させるのは恐ろしい、万が一クルルに何かあったら―――肝が冷える。

 慌ててテントから果物の缶詰を持って帰る。お粥でも良かったが、自分の調理の腕では病人相手の物は作れないと悟ったためだ。ケロロに言えば簡単に作ってみせるだろうが、クルルが風邪であることを知られたくないのだと薄々気付いていたので黙ったまま過ごすことにしたのだ。
 夏風邪は長引いてしまうと夏美が言っていた、ついでにバカが引くものだと言っていたがケロロが風邪を引いていなかったのだからきっとそれは迷信だ。ある意味でクルルも馬鹿であるが、夏美が言うバカとは掛け離れているものだと思う。
 缶詰を抱えて戻ると、クルルは咳き込みの真っ最中で蹲っていた。慌てて背をさすったが、これでよくなることもない。
 苦しいのだろう、ぼろぼろと涙を流しているクルルに思わずギロロまで胸が苦しくなった。水を欲したクルルにそっと手渡し、背を支えてやりながら飲み終わるのを待つ。
 クルルの涙を拭ってやると、少し困った顔をしたクルルと目が合った。


「落ち着いたか?」

「……ん」

「…身体拭くか?寝汗で気持ち悪いだろう。タオルを持って来るから、食いたい缶詰でも選べ」

「………お粥がいい」

「…え、いや、だが」

「…お腹空いたから、腹に溜まるもんがいい」

「……今日は日向秋が休みだとか言っていた、秋にでも頼んでみるか」


 下手に作るより、プロに任せた方がいいだろう。そういうつもりで呟いた言葉に、クルルはうぅ、と唸った。


「…あんたが作れよ」

「え」

「…最後まで責任持って、面倒見ろよ…それとも、もう疲れたかい?」


 潤むクルルの目が、分厚いレンズ越しにうっすら見えた。
 普段見たことのない、置いていかれそうな不安げな顔に、ギロロが揺らがないわけもなく。


「たっ、たまごでいいかっ?」

「…せんぱいのならなんでもいい」

「分かった、待っていろ!」


 ギロロは急いで粥を作るべくテントへと走る。結果としてギロロは再び粥を失敗させたのだが、クルルは不味いと言うこともなく黙々と食べ進めて、やっぱり少し残した。美味いとも言わなかった。

 それからギロロは濡れたタオルを数枚持って来て、クルルに身体を拭くように促したのだがこれがまたギロロを悩ませた。


「………拭いて」


 クルル曰く、うまく拭けないから代わりに拭いてほしいのだと。

 こんな形でクルルの身体に触れるとは思ってもいなかったギロロは、顔を真っ赤にした。タオル越しとはいえ、クルルの身体に手を這わせる行為に躊躇いを感じた。何とか回避できないかと考えたのだが、クルルがくたりとギロロに身体を預けてしまったので逃げることが出来なくなってしまう。

 諦めて、なるべく変な手つきにならないようにと気を付けて、出来るだけ優しく身体を拭いた。

 この時ばかりはギロロも注意力が散漫し、クルルが熱のせい以外の理由で顔を赤くしていたことには全く気付かなかった。クルルは触れる手に、早く脈打つ心臓に、少しも不快な思いを抱くことなくされるがままに身を委ねる。

 風邪を引いて得をした、と、こっそりクルルが思っていることも知らずに、ギロロはただ無心になるよう心掛けた。

 再びクルルを寝かせて、熱を測る。昨日よりは下がっていて、ギロロもホッとした。


「…ヒマ」

「寝ていろ」

「…パソコン」

「駄目だ」

「……たいちょーとゲームしたい」

「…………」


 ギロリ、と鋭い目がクルルを睨んだ。
 その目の奥に今、嫉妬がちらついていることにクルルは気付かない。クルルはただゲームを咎める視線としか感じていないため、ゲームくらいいいじゃねぇかと呟いた。ギロロの胸にざわざわと黒いものが渦巻く。


「…ケロロの方がいいなら、呼んできてやるが?」


 くだらない嫉妬が、拗ねたような言葉に変わる。クルルに他意がないことは分かっているつもりだが、どうしても気分が悪い。
 暇潰しに己と居て楽しくないというのは分かる。クルルが喜ぶような面白い話が出来る訳じゃないし、発明心を擽るようなこともできない。ケロロと居る方が時間も有意義に、かつクルルの為になるような気がするのも強ち間違いではないだろう。
 二人の仲が良いのはクルルに惹かれてから嫌と言うほど目についていたからか、ギロロはクルルの口からケロロの名前が出る度に面白くないのだ。それ故に、つい、可愛くない言葉も口にしてしまう。


「…いや、呼ばなくていい…隊長には、黙ってて…」

「……」


 ギロロはグッと噛み締める。ケロロに心配を掛けたくないからそんなことを言うのか、否定しないと言うことは俺では役不足か、とか、ギロロの思考は完全に嫉妬で飲み込まれた。
 俺よりケロロの方がいいのかと、ついつい言ってしまいそうになるのをグッと堪える。言ってしまえば、何だかこれで終わってしまいそうな気がしたからだ。クルルに肯定され、フラれてしまいそうな気がして。

 ケロロのようにクルルを楽しませることは出来ない。ギロロはただ黙って、上半身を起こしていたクルルを布団に押し付けた。


「…いいから、寝ていろ」

「………寝れない」

「……クルル」

「…………だ、って」


 クルルの頬がじわじわと真っ赤になる。熱が上がったのだろうか、とギロロは慌てて額に触れた。クルルはそれに対して「ばか」と呟いて苦笑する。


「……クルル?」

「…あんたと居ると、緊張して寝れないって言ってんだよ。…察せよ、ばか」

「…え」

「……せんぱいは、俺と居てどきどきしねーの…?」


 不安げな声色。今朝にも見た、不安に揺れる目。
 俺ばっかり意識してばかみてぇ、と吐き捨てられた言葉は、小さすぎて聞き取りにくかった。

 ――理解するなり、ギロロはカッと真っ赤に染まる。
 前の嫉妬など忘れて、あたふたと視線をさ迷わせ口をパクパクとさせた。それからゆっくりクルルに視線を戻して、ぎゅっと手を握る。


「ば、か言うな、俺は、そういうことを、考えないように、だな」

「……なんで?」

「び、病人相手にっ俺は、そんな、……いいから寝ろ!」


 これ以上は、とギロロが理性を保つためにクルルに布団を被せた。どくどくと心臓がうるさい。
 クルルはギロロを見つめて、それからくつくつと笑い始めた。ギロロはそれを赤い顔のまま睨む。


「…なァ、やっぱり寝れない」

「うるさい。気合いで寝ろ。貴様はいつでもどこでも寝れるだろうが」

「…せんぱい、となりあいてる」


 ゆっくりと紡がれたクルルの言葉に、ますますギロロは赤くなる。必然的に上目遣いになるクルルは、ギロロを見つめて握られたままの手を小さく引く。


「…せんぱい」

「……っ、…そっ、添い寝だけだっ、からな…!」

「…ククッ」


 相手は病人、相手は病人とギロロは頭の中で唱えながらクルルの隣にゆっくりと横になる。クルルはまたうっすら頬を赤くして、それでも嬉しそうに笑った。


「…せんぱい」

「……なんだ」

「俺ら、何か今、一番恋人っぽいな」

「い、う、うるさい、寝ろ」

「……ククッ」


 やっぱり眠れる気がしねぇや、とクルルは思いながら、ギロロに擦り寄る。心臓が忙しない。聞こえてしまうかと、少し考えてまたどきどきした。
 ギロロは擦り寄られて頭がパニック状態だが、それからゆっくりとクルルを抱き締める。確かにこうしていると、一番恋人らしい事をしているなと思った。
 視線が交わり、どちらともなくゆっくり口付けるのも。くっ付けるだけの拙いキスは、今の自分達にはちょうどいいのだと。

 照れたように笑うクルルが愛おしい。
 優しく笑って抱き締めるギロロが愛おしい。

 もう一度唇を寄せてから、二人は言葉を交わすことなく静かに瞼を閉じた。



 ――それから数十分後、クルルの仕事を手伝いに来たモアが眠る二人を見て驚き、ケロロに報告し日向家を巻き込んだ大混乱を起こしているのを、幸せそうに眠る二人はまだ知らない。






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