詩・短編

□諸刃と羊水
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徐々に彼女の体が沈んでいく
忌々しく左手首に蔓延った傷口から大量の赤が流れて彼女を埋めていく
陶器の白さを誇る肌が、常にひんやりと冷たい指先が、薄黒い赤に、生温い赤に、浸食されて汚されていく
たぷたぷと鈍い音で波打つ密度の濃い液体は彼女のものとは思えないほどの生臭さで僕の目を奪う
彼女の小さな唇が「ありがとう」と型取られた空気を吐き出した
渇ききったガラスのような澄み過ぎた瞳が弧を描く目蓋に隠される
(そ、んな張り付けた笑顔で、お願いだからいかないでくれ)
赤は彼女の胸元まで埋めて、それでも彼女は溺れるでも藻掻くでもなく、静かに肌の白を青に近くさせて
「ありがとう、ありがとう、ありがとう……」と何の温度も無い言葉を何回も吐き出す空気に乗せる
(彼女のごめんねとありがとうは、いつだって呼吸みたいに自然で不自然だ)
僕は彼女を取り囲む赤に縋り付いてなんとか細い腕に腕を伸ばす
赤は僕の首に纏わり付いて少しの隙間もなく気管を圧迫する
彼女からの絶対的拒絶に僕は涙を流して反抗した
僕の目から流れる雫と混ざった部分の彼女の赤は黒曜石になってパリパリと割れていった
いつしか赤は全て黒になって、彼女を囲んだ部分は彼女ごと砕けていった
地面に当たってもっと細かくなって、きらきら、きらきら、反射してみせた
(やめて、くれ、醜い僕を見捨てていかないでくれよ)

目を覚ましたら彼女はいつものように隣で眠っていた
たくさんの機械が繋がれた彼女の胸元が静かに動く
(君が生を諦めてから、一年半です)
(僕はあれから君の瞳を見ないまま、声を聞かないまま、二十歳になりました)

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