小説置き場
□苦い。けれど、甘い
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「……やっぱり、しませんね」
「なにがだ?」
というか、何をしているんだ、お前は
ごく普通の昼下がり
仕事の合間、少し休もうと行ったリビング
珈琲を飲んでいると玄関が開き、ちょうど買い物から帰ってきたらしいフェイが、無言無表情に暫く俺の顔を見ていた
何かと思い、近寄る
すると、唐突に抱き締められた
細い腕を背中に回し、ギュッとしがみつくようにして抱き付いている
それだけではなく、擦り寄るように顔を寄せ、なにやら匂いを嗅いでいるようだ
「……しませんね」
「だから、『なにが』しないんだ」
フェイから抱き付いて来るなんて珍しい、俺としては嬉しい筈のその行動も、意味の分からない言動のせいで素直に喜べない
それからしばらく確認をして、一応納得したらしいフェイはやっと顔を上げた
ようやく疑問の答えが聞けそうだ
「『煙草の臭い』です」
「は…?煙草??」
だがその『答え』も、意味が分からないものだった
いや、意味も何もそのままなんだろうが、何なんだ、突然…煙草の臭い?
そんなもの、するわけないだろう
目線で説明を促す
もう一度、すんと匂いを確認したフェイが普段と変わらない様子で話した
「煙草を吸っている所を見たことがないから、当たり前と言えば当たり前なんですけど、やっぱり、匂いもしないんだなぁ…って」
「まぁ、…そうだろうな」
「吸わないんですか?」
「布に臭いが移るからな。それに、」
「それに?」
無意識なのか
上目遣いに小首を傾げ、先を待つ
その小さな頬に手を添え、身長差のある彼女に合わせ屈んで、鼻の頭にキスをする
「っ……!」
反射的に俺を押し返そうとした華奢な身体を素早く抱き締めて、耳元に顔を寄せ
「お前が嫌いだろう。臭いも、…味も」
「味って、ぁ…!ん…ふっ」
理由を伝えて、耳を一舐め
途端に赤く染まる肌に気を良くし、口を塞ぐ
舌を絡めれば、口内に広がる珈琲の味
一通り堪能した後、苦し気ながらも短く艶のある声を漏らす唇を離す
しがみつきながら呼吸を整えるフェイの、シャツ越しに感じる熱い吐息
微かに嗅ぎ取れる、珈琲の香り
お前にはあまり似合わない気もするが、煙草の臭いよりはずっといいだろう
「マーキングみたいだな」
「?…なにが、ですか?」
当然の疑問に「こっちの話だ」と、返す
子供のような独占欲
お前から、俺の持たない、俺以外の誰かの匂いがするのが嫌だ、なんてな
当然ながら、嫌なのは匂いだけじゃないが
「『煙草味』は嫌だろう?」
「アースさんの珈琲は、……苦いです」
そっと口元に指を添え、何かを確かめているフェイに問えば、熱の引き始めた肌を再び朱に染め、恥ずかしそうに答えている
珈琲の後になんて、今まで何度も、それこそ数えられないくらいしてきただろう
「苦い」だなんて感想が付くのは初めてだ
「なら、ミルクと砂糖たっぷりのカフェオレなら文句はないのか?」
「なっ…!?違います!!」
ついからかいを含んだ言葉を返すと、フェイは真っ赤になりながら、俺の予想を遥かに越えた言葉を返してきたのだ
「この苦さは、嫌いじゃないです。これは貴方が……アースさんが、私に教えてくれた味、なんですから」
俯きながらシャツを強く握っていたフェイは、言葉の終わりと同時に顔を上げた
羞恥に濡れた瞳、微かに震える身体
伸ばされた両手、頬に触れる指先
彼女が爪先立ちで縮めた距離
屈んで、更に縮まる距離
近く聞こえる呼吸、交わる吐息
気付けば、どちらともなく重ねる唇
触れるだけのキスが終わったあと
照れたような柔らかな微笑みを浮かべた彼女は、精一杯背伸びをしながら
「今のままのアースさんが、…好きです」
耳元で、優しくそう囁いた
20101102