1
□どこまでもいつまでも咲き誇って
1ページ/2ページ
キノは、つい最近戦争で滅びたという国を訪れていた。
近くを通りかかったついでに見ておこうと思ったのだ。
外壁は崩れ、道のそこここに煉瓦が転がっているので、モトラドは少し見ただけではわからないような、家だったと思われるものの影に置いてきた。
見てまわればまわるほど、美しい木々があったというその国は、もはや以前の様子を窺い知ることはできないほど無惨だった。
道なりに進むと(正確には元・道だが)木々があったと思わせる場所に出た。
見晴らしがずいぶんといい。砦を作るための材木として、敵の伏兵を避ける目的として切り倒されたのだろう。
──人の命も国の命も実にあっけなく終わるものだ。
旅人のキノにも他人事ではないが、眺めるキノの表情は普段と変わりなかった。
キノがまわりを見まわすと人影が見えた。国として機能していない国に自分以外の人間がいるとは思わなかったキノは、少し警戒しながら近づいた。
すると、見覚えのある後ろ姿であった。シズである。
「こんにちわ」
「…えっキ、キノさん!?…あ! こんにちわ」
シズはまるで気づいていなかったらしく、驚いた様子で挨拶を返した。
「まさかボク以外に人がいるとは思いませんでした」
「私もだよ。何故こんなところに?」
「それはシズさんの方でしょう。ボクはもののついでに来てみただけです」
「そうか。──私は…花見、かな」
「…花見?」
「ある国では花を愛でながら酒を飲んだり食事をするそうだ。それを花見というらしい」
「いえそれは知っています。そうではなく…花はどこに?」
一面まわりは切株やら倒れた幹だらけだ。実際、シズは今現在その幹に腰掛けてキノと話している。
花などどこにも無い。
「ほら、そこの切株に」
「え?……あ」
確かに目の前の切株には小さな、花と呼ぶにはあまりにも小さな花が咲いていた。
「この切株はまだ生きてるんだ。こんな状態になってもまだ諦めず、頑張っている。俺はこの木を、花を尊敬する。だからその敬意を表して花見をしているんだ」
真剣な顔で白く小さな花を見つめるシズを見て、キノはしばらく黙っていたが、唐突に口を開いた。
「ちょっとそのまま待ってて下さい」
背を向けてさっさと走っていったキノに、シズは首を傾げつつ、言われた通りそのまま待つことにした。
「あ、キノ。もう見て終わったの?」
「いやまだ。ちょっと取りに─…あ、あった」
モトラドにくくりつけてある荷物からクッキー缶を取り出した。前回訪ねた国で購入したものだ。
「あれぇ、それもう食べるの? 楽しみにとっとくって言ってなかったっけ」
「うん。だから、今がその時」
「こんなボロボロのところで?」
「そう、こんなボロボロのところで。そろそろ行かないと、あんまり待たせられない。エルメス、もう少し待っててね」
「それは別にいーけど、待たせられないって何を?」
エルメスが言い終えたときにはキノの姿はとうに小さくなっていた。
「キ〜ノ〜無視するなんてひどいや…まいっか。寝てようっと」
「……はあっ、お、待た、せしまし、た…」
息を整えながら言うキノにシズは心配そうである。
「それは問題ないが…そんなに走ったのかい? 大丈夫、キノさん?」
「も、う大丈夫、です……はいコレ、一緒に食べましょう」
ふうと息をついたキノはシズの隣に座った。そして先ほどのクッキー缶を開けて膝の上に広げる。
「ありがとう。でもどうして?」
わざわざ菓子を取りに行った理由が分からない、とシズは不思議そうだ。
「だって“花見”なんでしょう? だったら何か必要かなと。お酒は飲まないし、お茶を煎れる時間は無いので、コレを。結構おいしいですよ」
キノの言い分にまばたきをしたシズは、一拍置いて嬉しそうな笑みを浮かべた。
「──なるほど。ありがたくいただこう」
クッキーをつまみながら、二人は静かに目の前の小さな花を眺めた。
「もう、充分かな」
しばらくしてからシズが呟いた。
「そうですね」
充分と言いつつ未だ切株に優しげな視線を向けるシズにキノは微笑んだ。
「では、ボクはこれで。エルメスがいい加減怒りそうなので」
「ああ、付き合わせてすまなかった」
「そんなことないです。ボクも久々にのんびりできましたし、あの花は美しかった」
「俺もキノさんと花見ができて、美しいものと共に過ごせて…すごく幸せだったよ。本当にありがとう」
「? はあ、どうも?」
よく分からないと見上げてくるキノに赤面しながらシズは言った。
「ク、クッキーもおいしかったし」
「ええ。ではさようなら」
花見のときのやわらかい笑みを消して旅人の顔になったキノは歩き出した。
遠のいていくキノを見送っていたシズだが、ふとそのほっそりとした背と壊れたこの国が重なってみえ、息を飲んだ。
思わず走り出す。
「キノさん!!」
なにやら必死な声にキノは怪訝そうに振り向いた。
「どうしました?」
振り向いたキノはやはり旅人の顔で、普段の凛とした姿だった。
「…い、いや、あのすまない。なんだかキノさんがこの国のようになってしまう気がして……ああ、失礼なことを言っているな…すまなかった」
シズ自身も訳が分からずしどろもどろになる。
その様子をぽかんと見ていたキノは、ぷっと吹き出した。
「謝りすぎです」
「え? すまない、あ」
クスクスとキノは笑う。シズは頬を赤くして頭をかいた。
ひとしきり笑ったあと、キノは小首を傾げてシズを見上げた。
「──さっきの話ですが、ボクはそう簡単に滅びるつもりはありません。諦めるつもりも。あの花のように、ね」
シズの好きな強く美しい、そう、あの花のような表情でキノは語った。
シズは心が安らぐのを感じて、目を閉じた。
「そうだね…。ねぇキノさん、また、会えるかな」
「さあどうでしょう? 縁があれば会えるんじゃないですか」
「ははっキノさんらしいな─…うん、縁があると、いいな」
「そうですね」
微笑んだキノは一礼して、今度こそ去っていった。
キノの姿が見えなくなるまで立ち尽くしていたシズは思い出していた。
先ほどのキノの表情をあの花のようだと思ったけれど、最初にあの花を見た瞬間キノが浮かんだということを。
思わず花見なんて柄じゃないことをしてしまうほどに、似ていて。
思いがけずキノに会ってすっかり忘れていたのだけれど。
シズは微笑んでまたあの花に目をやった。
終