千月的徒然草

□竹刀剣術と試衛館
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江戸 戦のない時代

そもそも、刀が武士の象徴として見られるようになったのは太平の江戸時代に入ってかららしい。武器その物の長さが短い刀は合戦には不向きだからです。戦国時代は刀よりも槍が好まれました。理由は単純で、向き合ったとき長さのある槍の方が有利だからです。
それが、江戸時代に入って戦がなくなり、戦わなくなった武士は常に身に帯びていた刀がその象徴となっていったのです。

江戸の三大道場

そういった経緯のなかで江戸の剣術は発展していきました。つまり、戦や実戦で勝つ事は段々と目的から外れていったのです。 幕末でも勝つ事を目的とした古武道の道場はありましたが、新興流派ほどは流行らなかったようです。それでも実力は確かでしたが。
幕末に流行ったと言えば江戸の三大道場、錬兵館、玄武館、士学館です。いずれも新興流派で、こういった道場は真剣や木刀を使った形稽古ではなく、竹刀稽古に重点を置いていました。
また、北辰一刀流では修行段階(今で言う段、切紙や目録等)を簡略化し、「他流では目録を取るまでに三年かかるところを、北辰一刀流では一年で貰える」というのを売りにしていたらしいです。
何でも江戸では手っ取り早く習えて上達が早い流派が人気だったとか。今と変わんないですね。
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