千月的徒然草

□台本と台本小説
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台本小説と台本から立体化すること

フォレストの掲示板で台本小説について読んでいて、ちょっと思ったことがあるのでこちらに載せます。

なお、ここで台本小説と便宜的に呼ぶのは
【キャラ名「セリフ」 ト書き】
で成立っているネット小説です。
場合によっては、////や(^-^)がセリフの一部として入っています。

私はこれは小説ではないと思います。
それを演者(役者)としての観点から語ってみようと言うのが今回の企画です。
たぶん、今年一年で私が学んできたことのまとめにもなると思うので。


台本ってつまらない!?

まず、台本っていうのはただ読んだだけでは面白くない物です。
筆者が何を言いたいのか、それは何となく解ります。

しかし、離れ離れになっていた家族の心が戻った様を台本で読んでも、そこには感動することに必要な何かが決定的に欠けているのです。

それは、どんなに優れた台本、シェイクスピアのロミオとジュリエットでもそうなのです。

何だと思いますか?

それは、演者ではありません。
感情です。

台本には感情が書かれていないのです。
人間の、感覚的な何かが決定的に欠けているのです。

感覚的な何かと言うのは、喜怒哀楽だけではなく、気まずいとか、緊張感、彼女の手を握った時に感じる暖かさや柔らかさといった身体感覚をも含めたものということです。

これがないと人は感情移入が出来ません。

感情移入が出来ない。

だから、台本だけを読んでも面白くないのです。

夢想キャラに出演して貰って例を上げて見ましょう。
恋人の手を握るシーンです。

台本
梅、後ろから芹沢の手を握る。
芹沢「……。」
梅 「……。」

大変味気ないですね。
でも、これが台本というものです。
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