千月的徒然草

□新選組は人斬り集団か
1ページ/2ページ



新選組は人斬り集団か
一新選組ファンとしての苦悩


私は新選組の創作サイトとか、ファンサイトとかで新選組を人斬り集団と称しているのを見るとすごく悲しくなります。(この傾向は創作サイトの方が強い)
私の場合、結構重症で(自分が散々資料当たって調べていることもあって)事実でないことを当然のように事実として書かれていると悲しいを通り越して気持ち悪くなったりします。
その最もたるものが新選組は人斬り集団である、鬼の集まりであるというやつなんです。

明治以降の官僚政治は薩長が握ってきたわけで、それにより会津藩やその実働部隊だった新選組は酷い恨まれ方をしてきたわけですが(これは幕府や朝廷に対する複雑な日本人の感情が絡んでいる)、新選組が人斬り集団と言われるのもその影響下にあるわけです。
つまり、それは実態とは全然違うわけですよ。
この人斬り集団というイメージが定着したのは池田屋事変の影響でしょう。
実際このときは長州藩士の犠牲が多かったですから。

でも、新選組の歴史をきちんと見れば浪士は基本的に「捕縛」であって「惨殺」は圧倒的に少ない。
それどころか、新選組が殺した人間は隊規違反による局内の人間がほとんどです。
確かに血生臭い歴史ではありますが、それはそれだけ新選組が自組織に対して厳しかったということでもあります。
だからこそ、土方さんは"鬼"なわけです。
隊規違反に決して例外を認めなかったわけですから。

さらに言うと、文久三年の設定で新選組は人斬り集団とか言ってるとこの人勉強しているのかな、と疑問に思います。
というか、新選組への愛を疑います。
文久三年の新選組というのは大河がそうでしたが(18〜22回あたり)、自分達に果たして何ができるのか戸惑っている若者の集まりです。
京都守護職御預という一応の身分は手に入れましたが、それだけなんです。
この頃の新選組、壬生浪士組の史料が少ないのは実質、彼らが活動していなかったに等しいからです。
見回りも浪士の捕縛も許可があってやっていたわけではなく自主的な行為、今で言えばボランティアでしょうか、そういうことしかできなかった頃なんです。
それを指して人斬り集団と言われると、私のことではないんですが、酷く悲しくなるんです。
それは実態とかけ離れている、それでは薩長の主張と変わらないではないか、と。
.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]