千月的徒然草

□台本と台本小説
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文字から動きへ

味気ないことでも人がやるなら多少はマシになります。
思うにこの段階が台本小説ですね。

実際に二人にやって貰いましょう。


台本小説
梅、戸惑いがちに後ろから芹沢の手をそっと握る。
芹沢「……。」
梅 「……////」

文章
梅は戸惑いがちに後ろから芹沢の手をそっと握った。梅は顔を赤らめる。どちらも黙ったまま口を開かない。

最初の台本の部分を読んだときに、あなたが思い浮かべた光景もこんな感じではなかったでしょうか?

ちなみに、演者がこのレベルで動いたら張り倒されます。
まぁ、言ってしまえばこれくらいのことなら誰でも出来るんですよ。



動きから感覚へ

しかし、ここ以降文章と台本小説は決定的な分岐点を迎えます。

台本小説の特徴は地の文がほとんどないことです。
その特徴の故に、台本小説では心理描写が出来ないのです。

では、先程の文章にこれでもか、というほど心理描写を入れてみましょう。

文章
戸惑いながらも、触れたいという強い衝動に梅は後ろからそっと芹沢の手を握った。
手が触れる。
たったそれだけの行為からくる喜びと、はにかむような初々しい恥ずかしさに、パッと梅の顔が朱に染まる。
しかし、なおもその目は芹沢を見つめて不安げに揺れている。
背中越しにその緊張が伝わるのか、芹沢は目の前の、どこともしれない一点を見つめたまま動かない。
胸が弾むような緊張と戸惑いの中どちらも黙ったまま、口を開かない。

ここまで来れば小説になりますかね。

字数の問題ではないですが、これだけの情報を伝えようと思ったら台本小説の形式では不可能です。

小説読みが台本小説に満足出来ないのは、上で言えば『恋人の手を握る』という《感覚をどう言葉にするか》を読んでいるからではないでしょうか。

これは書き手によって千差万別で、あの作家は好きだけどこの作家は嫌い、というのは話の構成の他に、こういったストーリーテリングの占める割合も大きいと思います。

少なくとも私にとっては大きいです。
どんなにいい話でも自分と感覚が違う人の文章だと何かしっくりしないものです。
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