確かに研究サイトではなく、あくまで創作サイト、ファンサイトであるわけですから、史実に基づいた話を求めるのは筋違いなのかもしれません。 物語である以上、あえて史実とは違う設定を取ることもあるでしょう。 事実、私がやろうとしているのはそう言うことです。 一次創作をするにしても作者が何処まで調べて書くかはその人の性格にもよるでしょう。 でも、書いてる人に意識してもらいたいのは、その人が過去に実際に実在した人であるということなんです。 新選組は様々な人が取り扱っている題材なので、その意識が薄れているのかもしれません。 実際、一次創作でも資料ではなく様々な作品から気に入ったイメージを切り張りしている感じをよく受けます。 でも、彼らは誰かが作ったキャラクターではないのです。 私たちはもう会うことはできませんが、その人なりの考えを持って生きていた人間なのです。 そういう人達に対して、自分が何か描こうと思ったら、まずはきちんとした資料をあたって調べるのが礼儀ではないでしょうか? そういう意識が、新選組に対して著しく欠落しているように感じるのです。 多分、私はそれがすごく悲しいのです。 確かに、資料を調べるのは人によっては面白みのない作業です。 歴史の勉強をしているようで嫌いな人もいるでしょう。 いいえ、そういう人の方が多いのだと思います。 実際、新選組は会津藩の末端組織であるために、新選組についての資料だけでは幕末の政治情勢が把握できません。 もし、時代背景まで考慮しようと思うと、どうしても総括的な歴史の資料を読まないわけにはいかないのです。 そうすると、新選組がでてくるのは池田屋事変くらいですから、相当な愛がないとできない作業でもあります。 でも、作品を発表しようと思うなら(プロでもアマでもそれを大勢の不特定多数が見る可能性があるのなら)、やはり、自分の勝手なイメージだけで書くというのは新選組に対して失礼だと思います。 これはフィクションだから、と言う前に情報の発信者にはそれなりの責任を持ってもらいたいのです。 新選組の一次創作だと言うとき、貴方の作品は「勝手なイメージで書いたものではなく新選組を描いた作品だ」と自信を持って、胸を張って言うことができるでしょうか? |