月光ロマンス

□廻り逢い、
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序章  めぐい、












----------この世界が形を成す遥か昔。

そこには"神"、そして"女神"が存在した。

それは昔すぎて、今世界を支配する人間はとても現実とは思わないだろうけど。

それでも、その存在は確かに有ったのだ。

そして。

その神と女神の分身なるものが、この"今"も存在していた。









居住む世界を変えて。















周りが忙しいのにもかかわらず、ある一部屋だけが闇に包まれ、隔離されたように静けさを保っていた。

誰もいないかと思われたが、その主は部屋の大部分を占める手垢ひとつない洗練されたガラス張りの窓から覗く、我身を主張するかのように露出された満月を目を細めて見ている。

その姿を見たものは見間違えたのではないかというくらいに普段出さないような表情で。

その男が身を沈めている大きな椅子、いや、ソファと呼んだほうがしっくりくるほどに大きく柔らかい生地で作られた物は明らかにその男の地位をひそかにさらけ出していた。肘掛には目立たないがそれはそれは豪勢な装飾が施され、一見するとわからないがそれでもよく見ればお金がかけられているとはわかるものだった。

男も、そうだった。

そんな椅子に座っているにもかかわらず見劣りすることなく、むしろ男を際立たせていた。ぬれたような漆黒の髪、アメジストのような瞳、ほどよく引きしまった肢体、すべてが人外を思いだたせるその容貌----。

「………女神。」

ほんの一瞬だった。月光に照らされたそのアメジストの瞳が一瞬緋に染まり--------。

雲陰に隠れた月とともに、彼もまた、闇に包まれた。







「おい、小娘。起きろ!!!」

「!?」

浅い眠りの中、怒声と頭上からくる鋭い痛みに一気に覚醒する。目の前には、薄汚れた衣服に身を包んだ大男が見慣れた侮蔑と自分にむけた否定を含む双方の目で見ていた。

「いつまで寝ているつもりだ。早くその醜い髪を隠せ。視界に移しているだけでおぞましい。」

声とは裏腹に寒気が起きるほどに醜く嘲笑う男にあわてて髪を束ねて帽子で包み込み、その拍子に首にかけてあるものが露出しているのに気付いてあわてて衣服の中に突っ込んだ。

「嫌みのつもりかねぇ、そんな眩しい髪をさらけ出して。なぁ?」

「あぁ、……なぁ、その髪売ったら高くなるんじゃねぇのか?」

「やめとけ……とうせ人工物だとか言われるだろうし、第一気味悪がって買う奴なんていねぇだろ。」

そりゃそうだと周りにいた男たちもお世辞にも言い難いような汚い笑い声を響かせる。

幸いにして、首にかかったものーーー紫の宝石のようなものが埋め込まれたクロスのネックレスには気付いていないようだった。

フィン自身も、これがいつ自分物になったのか、誰にもらったのかも全くわからない。だが、それは当たり前のようにフィンの胸元で輝き、そして自身も無意識のうちに片時も離すことなく大事にしていた。

アルテミス=フィン=セインアッド。それが薄汚れた少女を指す名前だった。

その下半身まで長い長髪は、月光が溶け込んだかのようにまばゆく輝く銀髪となっている。見れば振り返るほどの容姿を持っているにも関わらず、今ではその容姿を隠すように汚れ、穢れている。

その娘は孤児だった。生を受け、物心がつくまでは両親の祖母と言うべき人に育てられていた。……その時までは、幸せだった。あの時までは。

フィンは思い出したおぞましい過去を消し去るように頭を振り、そして立ち上がった。ここは、最下層と言われるものが寄り集う所。周りの男たちはああ言うが、これまで幾度となく人身売買に"商品"としてかかわってきた。そのたびに、すきを突いて逃げたり、買い手が決まって油断が生じたすきに逃げたりと幾度も危機を乗り越えてきた。そんな彼女は常日頃から"商品"として自身を見る手から逃れてきているのだ。

そうすると、自然と最下層の、"商品"なんてものが無いような場所へ行きつくこととなる。そしてそれから彼女はそんな場所を転々としていた。だが、むけられる目はいつも変わらなかった。銀に輝く髪を醜いと"侮蔑"し、人外とさえ思える色素に"恐怖"を覚え、そして珍しいというだけで"欲望"を丸出しにしてみてくる目ー…その中には商品としてではなく、性の対象として見られることもよくあった。そう、よくあったのだ。だから、傷つきなんかしない。もう、彼女には流す涙も溢れる笑顔もとうの昔に枯れ果ていたのだ。



「………………」

日は高く上り、徐々にフィンの体力を奪っていく。いつもなら穢れた場所からそう遠くない小川で流れる時を過ごしているのだが、今彼女は尤も危険である街中でいつもとは違う"好奇"の目を避けるようにうつむき足早に歩いていた。

好奇の視線の理由は、考えるまでも無く身だしなみだった。薄汚れたズボンに、だらしなく腰まで伸びたTシャツ。そして帽子。そんな格好でひとたび町を出れば、視線を集めるのはわかりきっていた。ただし、その中に隠し持っているクロスを表に出せば少しは視線も種類も変わるだろうが。

そして、そのことがさらに彼女の危険を脅かすことになるのも。

だが、足を止めることはできなかった。

今住んでいる場所を縄張りにしている大柄な男がフィンに命令を下したのだ。「今から、上質の酒を買ってこい」と。フィンは手渡された金貨に驚きつつ、言われた酒屋へ足を運んでいた。もちろん頭の中は疑問でいっぱいだが、断れば住む場所を変えなくてはいけないのは目に見えて分かっていた。

とりあえず、早く用事を終わらして、はやく人ごみから抜けよう。そう思い、歩幅を大きくした…………そのとき、だった。

「ッ!?」

大きな通りにそれた細い小道の前を通った瞬間、頭部に激痛が走り、眩暈で体を支え切れずに転倒する。そして、立ち上がろうと手に力を入れたところで、フィンの記憶は途切れた。


重い…………覚醒していく意識の中、一番に思ったのはそれだった。全身に付けられたような拘束具………覚えのある感触に背筋が冷えるのを感じながら張り付いたような瞼を無理やり開けた。まず最初に入ってきたのはまばゆい光。そして、思った通り。両手両足、さらに首に重い錠がかかってあった。それはフィンも見覚え上がるー……商品を逃がさないための拘束具、つまり今自分が人身売買の"商品"となっていることが明確に示されていた。

そして、今回はこれまでのようにたやすく逃げられないというのも瞬時に理解した。

今、フィンがいるのは広い広いホールの真ん中にある舞台に設置された牢屋の中。そして、もう競は始まろうとしていた。

あわてて胸元を確認すると、固いものを感じて安堵する。クロスにはだれも気付かなかったらしい。ただ、いつもは必ずしているはずの帽子は無く、いままで人目を避けていた銀髪は床に投げ出し主張するように輝いていた。

「ッ、」

わてて髪を束ねて、舞台下からいくつも感じる厭らしさの漂う視線から庇うように背を向け隠そうとした。だが、それが逆に自分を苦しめてしまうことになる。

それを見たおそらく人身売買のオーナーは、フィンの予想を大きく裏切る言葉を口にした。

「皆様、大変お待たせいたしました。あまりにも急を要したため、見栄えはよくありませんが……ですが、本日の目玉商品である銀髪の少女を皆様の目の前に出せること、とてもうれしく思います。………さて、そんな希少な少女を檻に閉じ込めてなにもせずに始めるのは実に惜しい……そう考えました結果、先着10名の方に実際に体験してもらおうと思いまして。」

ホールに大きく響く男の声に、周りは火がついたようにざわめく。そして口ぐちに俺が、私が、と声が聞こえてきた。見渡せば裕福だが、裏に精通していそうな4、50代男たちばかりだ。それがみな欲望を丸出しにした顔でフィンを見ている。

それに一気に冷や汗が湧き出てくるのを感じる。そして、さらに非常にも続く男の声で大きく揺れ動く。「もちろんー………体験ですから、性をぶつけることも可能です。」ニタリ、と笑みを浮かべた顔を見た瞬間、これまでにない恐怖を感じ身を竦ませた。嫌だ、嫌だ嫌だ……そう思うのに、体は震えに震え、動くこともままならない。フィンは、無意識にクロスを両手で握りしめていた。

そしてー…………キィィイイ、と、鉄の軋む音が鼓膜を震わせる。と同時に体も震えが大きくなる。

「お嬢ちゃん、早くその可愛い顔をみせてくれよ。」

震える背で汚い声がまた耳に入る。震えてやまない体に、なぜかクロスを握りしめて誰かに助けを求めているような感覚に陥った。ずっと一人ぼっちだった私に手を差し伸べる人間なんているはずないのに。

そんな感覚に疑問を抱いていると、ヒタリ、と生温かく汗で湿った手がフィンの背中に当たる。

それにビクリと大きく体を震わせ、不快感が最高潮に達した時ー……自然と、口から言葉がこぼれていた。何日も言葉を発していないにしては、やけに自然に。



「ッ、アメジストッ……」



それは、クロスに埋め込まれた宝石の名。始めて口にしたのにその名はストン、と胸の中に落ちた。同時に、視界が闇に包まれるのに気付く。

そこには、さきほど口にした宝石を双方に収めた、







人外とも然るべき美貌の青年立っていた。



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